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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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南茅部町史 上巻 ([海区漁業調整委員会])

    臼尻村   茅部郡北部 〃        (砂原・森・落部)      森 町   八雲長万部, 〃        (八雲・長万部)       長万部町  郷土(臼尻村・尾札部村)は茅部郡南部に
南茅部町史 上巻 (ニシン場の雇(豊崎・二本柳文平談・明治二一年生))

函館地蔵町の〓(やまさんぎ)工藤の茅部丸で長万部まで送ってもらった。,長万部から山越えするから、その以前(昔)はキゲ背負って股引に米一升入れて、秋味一本担いで歩いて森に一泊,次の日は長万部に泊って、翌日は黒松内さ出る。古宇後志から雷電越えて岩内でアーアーヤンベした。  ,函館から汽車で長万部へいって、そこから道中(徒歩)して寿都・岩内へいった。,汽車でいく前は、汽船で長万部まで送られて、そこから道中した。
函館市史 通説編 第一巻 (道路)

交通量が最も多く、重要なルートとなっているのは国道5号線で、この路線は函館を起点として長万部-倶知安-,札幌への行程としては長万部から国道37号線で洞爺を経て国道230号線に入り、定山渓-札幌を走行するのが
南茅部町史 上巻 ([鰮(いわし)漁業])

のみならず、幸吉は文化三年(一八〇六)山越内(八雲)に漁場を開き、文政二年(一八一九)三代与五左衛門は長万部,) 三代 与五左衛門 椴法華村アイトマリ  鰯引網     文政二年(一八一九) 三代 与五左衛門 長万部,山越郡の鰮漁場は「長万部村字幌内ヲ第一トス。天保中ハ漁獲極テ多ク、漁家百有余戸。  ,安政以降遂年薄漁トナリ、近年ニ至テ山越長万部ヲ合シ僅ニ十数戸ヲ存ス。
椴法華村史 (主要道路の開削)

そこで箱館奉行堀利〓は理想的な道路の開削計画として、箱館から鷲木・長万部・虻田を経て、勇拂と石狩川を結,(区間)   (完成)  (工事) ○長万部-磯谷間安政三年 開削 ○黒松内-歌棄間  仝   仝
函館市史 銭亀沢編 (釜谷鉄道の価値)

この当時の函館は「渡島開発と長万部鉄道、今更言うまでもなく大なる関係を有するもので此の線の開通に依って,の利する処は少なくないのである」(大正十年一月二十日付「函毎」)との記事に代表されるように、長輪線(長万部,他の敷設予定線に対する函館市民の反応と言えば、「函館市民が長万部鉄道の開通を熱望して運動に日も尚足らざるものありしに,大正十二年八月一日に発行されたこの『大函館論』の中で、「長万部鉄道と松前及釜谷鉄道の価値」という記述がある,そのなかで長万部鉄道については、石炭の問題のほか、「この鉄道の開通に依り函館と、北海道の東半部との距離
函館市史 通説編 第一巻 (卸売業)

函館から比較的離れている八雲・長万部等の小売店でも50%を函館の卸売業者に依存していることからも、道南
南茅部町史 上巻 (北海道大小区画)

=森、尾白内、鷲ノ木、蛯谷、石倉、落部、宿野辺  一九大区   一小区=山越内村   二小区=長万部村
南茅部町史 下巻 (〔戦没者慰霊祭〕)

27 長野 秀康 三四八 } 三九四         四六  長万部町遺族会,役場 28・2・13 佐藤 勇太郎 一七八    (長万部忠魂碑奉拝会 長万部神社 21
南茅部町史 下巻 (北海道稲荷社 一一三座)

浜益郡別村      天塩 二座  文久三年苫前村  万延元年力昼村      胆振 三座  安政二年長万部村
南茅部町史 上巻 (管内漁業組合一覧)

山越内村漁業組合 八 雲 町 一一六 蕃殖事業 八雲村 漁業組合   同 一六二   静 狩 漁業組合 長萬部村, 五八 共同販賣、蕃殖事業(本組合ハ辨邊漁業組合ヨリ分離セルモノ) 長萬部村漁業組合   同 一〇〇
函館市史 通説編 第二巻 (北海道炭鉱鉄道会社との競合)

その1つは、札幌~千歳~東室蘭~伊達紋別~長万部~森~函館という、現在の千歳線経由の道路である。,この北炭の所有する札幌~岩見沢~室蘭線の存在がなければ、室蘭~伊達紋鼈~長万部~森~函館と新線を敷き、,現在の状況からみると、なぜ、函樽鉄道が長万部から北上し、小樽まで困難な山岳地帯をあえぎあえぎわけ入らねばならなかったのか,明治19年6月、このコースの黒松内山道、函館、長万部、寿都、歌葉、稲穂嶺の険にも遂に、馬車を通じ得たことも
函館市史 通説編 第二巻 (函館県警察の発足)

小谷石 18.2.18 寿都警察署本目分署 島牧郡本目村 軽臼 本目 歌島 18.2.28 森警察署長万部分署,山越郡長万部村 長万部 18.2.28 森警察署川汲分署 茅部郡尾札部村川汲 尾札部 臼尻 熊泊 18.5.20
函館市史 通説編 第一巻 (道路開削)

年箱館弁天町の住民福次郎、千代田郷の住民才太郎の二2人が、共同して出願し、5年間橋銭を取ることを条件に、長万部
南茅部町史 下巻 (第二茅部病院)

   第五公立病院   福島郡吉岡村   公立吉岡病院   一二・一一・   第六公立病院   山越郡長万部村,  公立長万部病院   一三・四 ・   第七公立病院   亀田郡大野村   公立大野病院   一三
南茅部町史 上巻 ([管内の字名地番改正(昭和)])

吉岡村字名改正   14・ 5    森村大字名地番改正 湯川町を函館市に合併   15・ 1    長万部村字名変更,  17・10・ 1  木古内町制施行  11・1  福島村字名改正   18・ 2・11  長万部町制施行
南茅部町史 下巻 (官林)

茅部郡戸井村  亀田郡ノ内           志苔 石崎 銭亀沢           山越内村 長万部
椴法華村史 (十九支庁の設置と警察署)

所属分署   函館支庁 函館警察署   亀田支庁 七飯警察署  亀田・戸井・上磯・木古内・森・八雲・長万部
南茅部町史 上巻 (管内の町村の起源(資料))

恵山町から郷土南茅部、そして長万部までの海岸への和人の来住は一七世紀前後という大きな流れにくくられている,長万部町  安永一二年(一七七三) 松前家始めてこの地に番屋を建て華夷の界とした。
椴法華村史 (蝦夷地の主要道路)

松前-大野-茅部峠-森-長万部(礼文華-虻田)-幌別-白老-勇拂-様似-幌泉-広尾-大津-白糠-釧路(,遊楽部-瀬多内   長万部-歌棄   勇払-石狩   石狩-上川-天塩   十勝-富良野-上川
函館市史 別巻 亀田市編 (函樽鉄道の建設)

越え、南部茶屋より東岸に折れ、まっかり嶽の昿原を通過し、メナタップ山脚に出て、ネップ山を越え黒松内、長万部,長万部より森駅に至る。   ,長万部より国縫、黒岩、八雲、山越内、野田追、落部、石倉、鷲木等沿海村落原野を経過して森駅に至る。   
南茅部町史 下巻 (椴法華空襲)

砂原、森、八雲、長万部空襲は、鉄道の駅や列車が攻撃をうけ附近の住家、住民の犠牲も各町村四、五名を数えている
恵山町史 (3、六ケ場所、南部藩が警備)

その調査報告に基づき持場の警備強化として箱館に元陣屋、室蘭(ヱトモ字ホロヘケレウタ)に出張陣屋、砂原・長万部,なお、箱館・室蘭の陣屋、砂原・長万部の屯所の陣容については、砂原町史(荒木恵吾編集長)に詳細に記述されているので,火業御手傳四人、足軽二人、村夫二人 右え(その他)従僕共六人宛、    これら、箱館、室蘭、砂原・長万部屯所
南茅部町史 上巻 ([明治の村])

鷲木村   森村   尾白内村  落部村              〆 拾弐ケ村   山越内村  長万部村
南茅部町史 上巻 (大正期の村税の納入実態)

        落部    五七・五三   △山越郡  八雲    四五・一五         長万部
南茅部町史 上巻 (浦役場)

ケ村戸長    相 馬 権太郎   山越郡山越内八雲二ケ村戸長    三 井 計次郎   山越郡長万部村戸長
恵山町史 ([陸路の充実])

主な道路の開削では、寛政・享和年間(1789~1803年)東蝦夷地の礼文華山道(長万部~虻田)、様似山道
南茅部町史 上巻 ([出稼ぎと棄権])

三〇一  落 部     六〇九     一二五  八 雲   二、九六三      七八  長万部
函館市史 別巻 亀田市編 (村役人の業務)

                  町会所                   下湯川より                   長万部村迄
南茅部町史 上巻 (村の予算)

五、三四六・二四〇   砂  原   六、〇七五・三四二        五、〇〇九・七九三   長万部
椴法華村史 (戦後の処理)

                              下湯川村ゟ                               長万部村迠
函館市史 通説編 第一巻 (黒松内低地帯)

黒松内低地帯 長万部付近から黒松内を経て寿都に至る低地帯は黒松内低地帯といわれる。
函館市史 通説編 第一巻 ([赤川段丘(鈴蘭(らん)丘面と中野町面)について])

函館市北方約110キロメートルの長万部町付近には、高度200メートル前後の三ノ岱(たい)面、高度120,メートル前後の二ノ岱面があり、その他、長万部段丘(高度60~40メートル)、飯生神社段丘(高度20~10,メートル)、長万部温泉段丘(高度5メートル前後)の各平坦面がある(瀬川 1973)。
函館市史 別巻 亀田市編 (共進会)

亀田関係入賞者数  そのほか亀田以外には八雲、知内、木古内、函館、砂原、東瀬棚、石倉、銭亀沢、大野、七飯、長万部
南茅部町史 上巻 ([茅部・山越水産組合])

ここに茅部山越の二郡は、第一区古部より始まり、板木を加えて長万部まで二〇区をもって水産組合として新しい
南茅部町史 上巻 (はじめに)

(吉良竜夫氏による)   表2 ○長万部、倶知安、浦河、釧路の4ヶ所については昭和47年,4.黒松内低地帯  長万部から黒松内を経て寿都に至る線で、ブナの北限(歌オニブナの原生林がある)でもあり
函館市史 別巻 亀田市編 (家畜貸付制度)

今回貸付した雌牛は八雲町より四頭、長万部町より六頭の計一〇頭を、道有雌牛購買と同時に購入し、十月十四、
南茅部町史 上巻 (漁民の出稼ぎで薪炭払底か)

明治一八年三月九日茅部山越郡長桜庭為四郎が長万部村内蕨岱等巡回の項に、真宗大谷派西念寺に投宿した日の記録
南茅部町史 上巻 ([副戸長・村用掛])

      森田和平治     同 技郷 捷平部 (三二名)   同      山田長三郎  膽振国山越郡長万部村
戸井町史 ((5)明治三十二年の所得税調査員当選者と四郡の選挙人名)

瀬下竜吉 〃 野田寅之進 砂原村 福田元吉 掛村 松川与兵衛 鹿部村 森田栄之助 落部村 相木国太郎 長万部村
函館市史 通説編 第一巻 ([日吉町段丘について])

日吉町段丘は渡島半島においては、恵山(えさん)付近の古武井(こぶい)段丘(標高60メートル)、長万部町付近,の長万部段丘(標高60~40メートル)、松前半島の三ッ石段丘(標高40メートル)、檜山西海岸の熊石付近,噴火湾沿岸の長万部町において、日吉町段丘に対比される長万部段丘の礫層上部の泥炭層中にあった木片の14C
南茅部町史 上巻 (大小区画制)

森村、鷲木村、落部村   七大区=山越郡(小区二村二)    一小区=山越内村    二小区=長万部村
恵山町史 (2、人馬賃銭と宿料)

そこで安政5年(1858)には、山越内(村並)・長万部・室蘭・幌別の4つの場所は料金を和人地並としている
椴法華村史 (南部藩の経営)

五月より調査を実施しそののちこの時の調査に基づき、箱館に元陣屋・室蘭に出張陣屋・砂原、長万部に屯所が設置
南茅部町史 下巻 (新聞記者が見た噴火後の鹿部村)

一二、三戸の耕作者は愛する土地を捨てて長万部方面へ移住したという。   
函館市史 通説編 第二巻 (函館電信局の設置)

翌8年3月20日には、函館、福山、森、長万部(8年10月廃止)、室蘭、札幌、小樽の7電信局(10年3月各電信分局
南茅部町史 上巻 (茅部鰊(かやべにしん))

茅部鰊(かやべにしん) 上場所の鰊にくらべて沿岸の鰊は僅少であったが、茅部鰊と総称されて砂原から長万部
椴法華村史 (陸路の充実)

以上のような幕府の方針に基づき、まず寛政・享和年間(一七八九~一八〇四)には、東蝦夷地長万部-虻田間、
函館市史 銭亀沢編 (大小区画割制から郡区町村制)

尾白内村、森村、鷲木村(以上現森町)、落部村(現八雲町) 7 山越 1 山越内村(現八雲町) 2 長万部村,(現長万部町) 『開拓使事業報告』により作成 注)函館はすでに明治5年2月に1~3大区に区画されている
函館市史 別巻 亀田市編 (縄文時代各期の遺跡)

函館公園裏、アサリ坂、大町にも貝塚が形成され、道南地方でも松前の伊勢畑貝塚、戸井の戸井貝塚、原木貝塚、長万部
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