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函館市史 通説編 第二巻
(奥羽5藩の警備と箱館)
蝦夷地の警備を命じ(『幕外』10-77)、4月14日には警備地域を定めたが、これら5藩の警備地域と元
陣屋
,、出張
陣屋
の所在地は次の通りであった(『幕外』11-9)。,ホロベツ間、東蝦夷地惣体の援兵心得)、元
陣屋
(箱館字水元より谷地頭の内)、出張
陣屋
(東蝦夷地エトモ),迄の内、島々共一円)、元
陣屋
(東蝦夷地ユウフツ)、出張
陣屋
(東蝦夷地子モロ、クナシリ島、エトロフ島),、出張
陣屋
(ソウヤ〔夏期出張、北蝦夷地応援心得〕、北蝦夷地3月~8月間、冬はマシケ元
陣屋
〔引揚〕)
恵山町史
(3、六ケ場所、南部藩が警備)
南部藩は、その調査報告に基づき持場の警備強化として箱館に元
陣屋
、室蘭(ヱトモ字ホロヘケレウタ)に出張
陣屋
,<箱館表元
陣屋
詰> 鉄砲足軽二組六〇人・小頭二人、弓足軽一組一六人・小頭二人、昇足軽六人、御手弓頭一騎,この内、砂原屯所の
陣屋
は一八五五年(安政二年)四月着工、翌年三月に完成している。,なお、この跡地、東蝦夷地南部
陣屋
跡「砂原
陣屋
跡」は、一九七四年(昭和四九年)八月二二日付で国指定史跡になっている,東蝦夷地南部藩砂原
陣屋
見取図 砂原町史より(盛岡市立中央公民館所蔵)
函館市史 通説編 第一巻
(外国人との衝突)
かつて米国水兵数名が南部
陣屋
の門内に入り、勝手に三道具(みつどうぐ、刺股(さすまた)・突棒(つくぼう),ってかかってくる残り3、4人もことごとく打ち倒したため、悲鳴をあげて逃げ去り、それからは、この一行の水兵は
陣屋
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田新道台場・瓦野台場)
蝦夷戦記)では「五稜郭新道台場」「瓦野台場」と呼ばれており、榎本軍側の記録『幕末実戦史』では「亀田新道の
陣屋
,故アリ之ヲ囚シ艦ヲ預リ、四十一人津軽
陣屋
ニ囚シテ日々土方ヲナサシムトコロ急務ニヨリ、矢不来或ハ亀田等ノ
函館市史 通説編 第二巻
(南部藩の箱館脱出)
南部藩は、箱館に本
陣屋
を構え箱館から室蘭付近までの警衛を担当していた藩で、蝦夷地の警衛を任されていた東北諸藩中箱館在勤者,12日四ツ時前、
陣屋
の責任者番頭葛西正兵衛以下が留守居所へ集合、ブラキストンの居館構内から橋船でオーガスト,この時南部
陣屋
から火の手が上がり7時頃まで燃え続けた。,津軽家留守居奈良荘左衛門は、五稜郭へ南部藩の届出書を提出すると同時に、南部藩との戦闘が想定されるとして、千代ヶ岱の津軽
陣屋
詰一同
函館市史 通説編 第一巻
(箱館及び蝦夷地の警衛)
就いては奥羽の内海防の憂いなき大藩に命じ、箱館・亀田の中間千代ヶ岱辺へ、
陣屋
を取建て、警衛致させ、松前家,には有川村に
陣屋
を取建て矢不来砲台を守らしむべし。,松前藩は戸切地村に
陣屋
を設けて、七重浜から上磯一帯の地を守った。
函館市史 別巻 亀田市編
(大正十四年の加入状況)
五稜郭駅前 一 ○亀田村字三角 一 ○亀田村有川通 四 ○亀田村字大川通 二 ○亀田村字
陣屋
通
椴法華村史
(南部藩の経営)
五月より調査を実施しそののちこの時の調査に基づき、箱館に元
陣屋
・室蘭に出張
陣屋
・砂原、長万部に屯所が設置
函館市史 通説編 第一巻
(築城)
福山城は古来城と私称していたが、正式に幕府に対し
陣屋
と称し、実際にはその規模も小さく構造も貧弱であった
函館市史 別巻 亀田市編
(大正七年の加入状況)
中川駒太郎造船所など五 ○亀田村字大川通-函館製瓦合資会社、〓熊井製瓦工場(二)など三 ○亀田村字
陣屋
通
函館市史 通説編 第二巻
(弁天岬台場降伏と中島三郎助の抵抗)
この日、千代ヶ岱の津軽
陣屋
跡へも降伏勧告の使者が来たが、元浦賀奉行与力で主将の中島三郎助はこれを拒絶した,また五稜郭からも、この
陣屋
跡は敵陣に近く手薄であるので、五稜郭へ集まって最後の決戦に臨むべしとの大鳥圭介
函館市史 別巻 亀田市編
(桔梗野台場)
而シテ一ハ旧津軽
陣屋
ノ勢援アリ、一ハ五稜郭ノ本牙ニ通シテ応援自在ヲ得」とある。
函館市史 通説編 第一巻
(建築)
安政3年南部
陣屋
構築の命を受けた村田宗吉は、盛岡の人で、南部藩城内新御殿の普請に大工小頭を務めた経歴を
函館市史 通説編 第一巻
(富川層)
添山川の峩朗(がろう)付近でも富川層は北東から南西の走向で東に26度の傾斜をもち、
陣屋
でも同層は北東から
南茅部町史 上巻
(上湯川)
このときの火の手は、(千代ケ岡にあった)津軽
陣屋
の守備兵が敗走のついでに焼き捨てたものであった。
函館市史 別巻 亀田市編
(箱館府守備軍の敗退)
二十四日夜には大川から亀田村へ退却せざるを得なくなり、一方松前藩兵は同藩の穴平(上磯町)にあった出張
陣屋
函館市史 通説編 第一巻
(医師)
また蝦夷地の警備に任じた各藩の
陣屋
詰の医師もいたらしい。
函館市史 別巻 亀田市編
(札幌・函館・小樽区となる)
域 札 幌 区 (略) 函 館 区 函 館 区亀 田 郡 字村内 字大川通内 字五稜郭通 字
陣屋
通
函館市史 別巻 亀田市編
(函館区制と亀田小学校)
従来の函館区の外、亀田村の東南部の広大な地域(字村内 字大川通内 字五稜郭通 字
陣屋
通 字千代ケ岱 字湯川通
函館市史 別巻 亀田市編
(十九字の函館編入)
函館編入 1 『函館区史』の記述には「明治三十二年九月、亀田村の内、字村内、大川通の一部、五稜郭通、
陣屋
通
椴法華村史
(椴法華と本州直送海運)
乍恐以書付奉申上候 一、龍神丸 酒井左衛門尉様御手船 九人乗
陣屋
彦次郎
函館市史 通説編 第二巻
(当初の五稜郭プラン)
その後箱館奉行(竹内)は、安政3年10月8日、津軽・南部両藩の
陣屋
が前年に竣工し、松前藩・仙台藩の
陣屋
椴法華村史
(椴法華産鱈の内地直送)
乍恐以書付奉申上候 一、龍神丸 酒井左衛門尉様御手船 九人乗
陣屋
彦次郎
函館市史 別巻 亀田市編
(工事着工)
このようにして亀田より森方面に工事を進めたが、この間函館付近の工事に用いる土砂は元津軽
陣屋
(現在の千代台町付近
函館市史 別巻 亀田市編
(箱館港の警備)
すなわち、箱館付近砲台の実用砲の採用、台場の新設と改良、海軍の充実、千代ヶ岱、有川
陣屋
の構築及び奉行所
函館市史 別巻 亀田市編
(函館の電気事業の始まり)
そして函館区
陣屋
通一番地に亀田変電所をつくり、二二、〇〇〇ボルトを二、二〇〇ボルトに下げて函館市内に供給
函館市史 通説編 第二巻
(十月二十日)
オーガスト号で箱館港に到着、その日の内に2小隊が谷地頭と尻沢辺の守衛に就いており(残りの2小隊は津軽
陣屋
,次いで、脱走軍は峠下で隊を二手に分け、大鳥は伝習隊を率い大野村へ向かい、24日松前藩の
陣屋
を抜いた。
函館市史 別巻 亀田市編
(終日の戦闘)
されるに及び動揺し、一本木方面(現在の若松小学校付近)に退き、同所で再度官軍の攻撃を受け、千代が岡の
陣屋
及
函館市史 別巻 亀田市編
(蝦夷地直轄)
一方寛政十一年春、蝦夷地を巡見した松平忠明らは最初
陣屋
を厚岸に設置する計画であったが、八月十二日、知内
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭占拠)
一 諸藩并役々乗組候船々、今日五ツ時頃退帆相成候事 一 今朝四ツ時頃津軽
陣屋
焼失
函館市史 通説編 第二巻
(区会の開始)
区域 函館区 従来の函館区 亀田郡亀田村ノ内 字村内 字大川通ノ内 字五稜郭通 字
陣屋
通
椴法華村史
(椴法華近村と通信の充実)
レ恐以二書付一奉二申上一候 一、龍神丸、酒井左衛門尉様御手船、 九人乗
陣屋
彦次郎
函館市史 通説編 第二巻
(松前藩との戦闘)
松前藩との戦闘 箱館占拠後、有川の
陣屋
から福山へ戻った松前藩の出方をうかがっていた脱走軍は、10月28
函館市史 通説編 第二巻
(5月11日の戦い)
箱館山からの攻撃で市街地を制圧した新政府軍は、兵を一本木関門にとどめ、五稜郭、千代ヶ岱
陣屋
と対峙した。,しかし、箱館市中は新政府軍に制圧され、脱走軍は、五稜郭、弁天岬台場及び千代ヶ岱の津軽
陣屋
跡に分断されて
函館市史 通説編 第一巻
(遺跡と立地条件)
「水元」とは旧南部
陣屋
跡の後背地にあたる地域で段丘発達のみられたところである。
函館市史 通説編 第二巻
(牢屋から囚獄へ)
函館には旧幕府前直轄時代から南部藩
陣屋
下(現宝来町)に牢屋が置かれており、開拓使にそのまま引継がれていた
函館市史 通説編 第二巻
(蝦夷地の警備)
この時、南部坂の南部
陣屋
(現ロープウェー駅一帯)を焼き払い、弁天岬台場の大砲を使用不能にしていった。
函館市史 通説編 第二巻
(函館から森村まで)
修理に用いた土砂は元津軽
陣屋
および亀田の万年橋近傍から堀取り、日々函館近在の馬数百頭を使って運搬した。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
牢屋があって、かつてロシア人ゴロウニンもここに入れられたといい、この町から尻沢辺に至る道筋には南部家の
陣屋
跡,また、ここに津軽
陣屋
跡がある。
南茅部町史 下巻
(尾札部村忠魂碑)
; 砂 原 砂 原 大正一一・一一・七 南部
陣屋
跡,; 長万部 長万部 昭和五・六・ 第七師団 新井 亀太郎 飯生神社 南部
陣屋
跡
南茅部町史 上巻
(町村制度の沿革)
字村内、字大川通ノ内、字五稜郭通 字
陣屋
通
南茅部町史 下巻
(〔明治五年神社巡回日記〕)
戸切地村含) 雷神社(元文四) 稲荷社(寛政五館藩アナヒラ
陣屋
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