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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 銭亀沢編 (衣服)

衣服 男女共ニ裾短カノ筒袖無尻ヲ着シ股引ヲ穿チ殊ニ女子ハ寒暑トモニ風呂敷様ノ布片ニテ頭部ヲ被ヒテ通行
函館市史 銭亀沢編 (漁に携わる時の男性の仕事着)

そのため、昭和の初め頃までは木綿刺子胴着のドンジャに木綿地の股引、手にテッケシをはめ、頭には手拭や風呂敷,また、合羽のない頃は藁蓑(わらみの)を着け、頭を三角風呂敷で覆った上に菅笠(すげがさ)などをかぶったりしていた,中には風呂敷や手拭をかぶる者もいた。  
函館市史 銭亀沢編 (畑仕事や柴とり時の衣服)

頭には三角にたたんだ風呂敷をかぶり、上衣はウワッパリを着、腕には腕ぬき(腕カバー)をして軍手をはめた。,頭には手拭や風呂敷をかぶったが夏は日除けに白天竺の中に新聞紙を入れひさしを作った。
函館市史 銭亀沢編 (外出着)

かぶり物は、冬はメリンスやネル、別珍の柄物などを、夏は天竺やキャラコの白の風呂敷をかぶった。  ,また、町を歩くときもドンジャを着流し、頭には、風呂敷を漁の時に比べると砕けたかぶり方にして歩いた。,頭にはメリンスやネルの風呂敷を三角に折ってかぶったり、御高祖頭巾(おこそずきん)をかぶった。
函館市史 銭亀沢編 (出稼ぎ時の衣服と持ち物)

これら布団を含めた衣類一式を「内地」からの人は、行李や布団袋に入れて持ってきたが、地元の人は大きめの風呂敷,に包み、寝るときはその風呂敷を下に敷いて使った。  
戸井町史 ([公立学校創設当時の状況])

最初の授業が終り、石盤(せきばん)と石筆(せきひつ)を風呂敷(ふろしき)に包んで背負い帰宅した与三郎の,勉強道具を風呂敷に包み、昼食のにぎり飯を持って家を出、二、三人で誘い合って学校へ行かずに山へ行って、山
戸井町史 (七、むじなに御馳走を取られた話)

(河村武男談)  昔浜中の石田常吉が嫁取りに行き、祝言の酒に酔って夜道を帰り、家へ帰って、風呂敷包みを
函館市史 通説編 第一巻 (遊里)

このほかに密娼もおり、内澗町では「風呂敷」、大町では「薦冠(こもかぶり)」、弁天では 「車櫂」、谷地頭
椴法華村史 (椴法華尋常小学校の頃の思い出)

そういう道を"袖がとおればいい"というような着物で、勉強道具の入った風呂敷づつみを
函館市史 通説編 第一巻 (衣食住)

近年まで「亀田帽子」と称された、風呂敷を三角にしてかぶる習わしは、すでにこの時代にもあって描かれ、衣服
函館市史 銭亀沢編 (浜で働く時の女性の仕事着)

頭にはネルの風呂敷をかぶり、手にはテッケシ、テガケ、ツカミゴテなどをはめ、帆前掛けなどを掛けた。
函館市史 銭亀沢編 (三三九度と披露宴)

お返しにタオルや風呂敷を出した家もあった。  
函館市史 通説編 第一巻 (箱館の町勢)

場所請負人の和賀屋、福島屋、浜田屋をはじめとし問屋、小宿、小商人などが多く軒をならべ、その裏庭小路には「風呂敷,」といわれる私娼妓があり、人目をはばかり風呂敷をかぶるところからこの名があるという。
函館市史 別巻 亀田市編 (飛行場建設)

雨が晴れそうになければ、四時過ぎの国旗降納を待たずに「終わり、解散」の号令で風呂敷などをかぶって帰っていったという
函館市史 通説編 第二巻 (市中での買物とバザー)

、金襴11丈余、男女帯地66本、半襟袖口53懸、袋物類60品、股引足袋類56品、仕立衣類26枚、木綿風呂敷
南茅部町史 下巻 (大噴火の直下を行く)

停車場には、行李や風呂敷包を持った人ばかりで一五、六人居た。
函館市史 銭亀沢編 (樺太(サハリン)のニシン場)

シドの場合は風呂敷を用意していった。これらの使用は人によって好みがあり、半々くらいであった。
南茅部町史 下巻 (修学旅行)

午前六時半朝食をすました僕等は自分のリュックサックや風呂敷の中の物の始末に餘念がない。
戸井町史 ([下海岸の交通の変遷])

読みもしないだろうが教科書を四、五冊と、荷厄介(にやっかい)だろうに着がえの単衣(ひとい)と一しょに風呂敷
南茅部町史 上巻 (鱈釣り漁)

○ネルの風呂敷かぶりして、その上に手拭いで鉢巻きをする。本フラ(フランネル)。
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