北海道の先土器文化

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 北海道における先土器文化の始まりはネアンデルタール人以降からといえるので、樋口隆康の『狩りの生活』から彼らの生活を見ることにする。ネアンデルタール人の住居は石灰岩地帯の岩陰、浅窟、洞穴で、暗黒の内奥部に神秘的祭祀場があり、そこにはしばしばすぐれた芸術家の手になるような洞窟壁画や彫刻が作られている。アルタミラやラスコーの有名な絵画がそれである。開地住居も柱や屋根を設けた家で、南ロシアやシベリアに見られるマンモスやトナカイ狩りの家屋には、中に貯蔵穴を設けているものもある。シベリアのマルタ遺跡から発見された像を見ると、男は毛皮の帽子をかぶり、上衣とズボンを着けており、また女子はロングスカートをはいている。遺跡から出土した骨製の針はこれらの衣服を縫う大切な道具であった。狩猟法も組織化され、集団で獲物の通過する場所に落とし穴やわなを仕掛け、マンモスやトナカイ、ウマ、アナグマなど多数の動物を一気に捕獲している。道具には投槍(そう)器、銛(もり)、釣針などの狩猟具や、ナイフ、のみ、彫刻刀、錐(きり)といった工作用具、また洞窟内部を照らすランプの石皿もある。
 彼らの生活は単婚家族で、集団狩猟や戦争には呪術師や首長とか長老に導かれた大家族の集団社会が想像されている。生活はきびしく、寿命について研究したH・V・ヴァロアによると、化石人骨180体のうち、3分の1以上が20歳前後で死んでおり、残りの大部分は20、30代で、50歳以上がわずかに3人、40歳以上の人骨11体のうち女は1人に過ぎなかったという。
 北海道の石器時代人が北の大陸から渡来したか、あるいは南の本州からかということは極めて興味のあることである。もし北から入って来たとすれば、クロマニヨン人の大移動に伴ってシベリアを横断し、沿海州から入った人たちか、その後継者と見ることができ、南からとすれば、本州の星野遺跡などを残した人たちか、またはその後継者であったであろう。
 旧石器時代の遺跡を発見した場合には、第一に石器がどの地層から出たか、また、石の加工が自然であるか人工であるかの判断から始まる。石器のほかに化石人骨が発見される例もあるが、これは極めてまれなことである。化石人骨を進化論的に見れば猿か人間の祖先であるかについては頭蓋骨の測定で判断できるが、道具があるかないかも重要な意味を持つ。類人猿は簡単な住みかを作っているが道具を作ることを知らないし、火を使用することもしない。世界で最も古い化石人骨は、東アフリカのオルドワイ峡谷のジンジャントロプス・ホイセイで、200万年前といわれるが、その峡谷からは粗雑に打ち欠いた石器が伴出している。
 石器の時代的移り変わりには、技術の発達過程による一定の規則性が見られ、不思議に各国の旧石器にはそうした共通点がある。旧石器の編年は、かつてヨーロッパを基準にしていたが、中国でも編年ができ、ソビエト連邦の東シベリアや極東地域でも遺跡の発見例が増え、編年が完成されつつある。
 旧石器の報告書に石器の名称が列記されているのは、当時の生活や道具製作の技術的変化と石器の機能の発生や消失を見るためで、遺跡別の石器セットは地域性を持ちながらも標準形式となり得るもので、石器が出土した地層の状態や、それぞれの石器の組み合わせなどによって時代的特徴をとらえることができるからである。
 北海道の旧石器も年々発掘例が増えているが、そのすべてを述べることを避け、分布と石器の移り変わりと問題点を記すのみにとどめることにする。