新しい時代への胎動

252 ~ 253 / 706ページ
 長期にわたる土器時代は、最初は単純な形の土器の出現によって始まった。そして貯蔵用の大形土器が盛んに作られるようになり、住民の集団化の傾向が出てくるが、土器を豪華に飾る時代を経て素朴な形に変り、集団化した「村」を統率する権力者が現われてくる。装飾技術はこのような背景の中から生まれたのであるが、やがてこの縄文土器の時代も新しい時代へと脱皮しなければならなかった。それが縄文文化の終りの時期で、土器製作上にあらゆる面で高度な技術の発達は見られるものの、製作者の個人的意志や思考が十分に反映できない時代でもあった。縄文時代晩期に区分されるこの時期は、縄文文化の円熟期である。現在から約2,000ないし2,500年ほど前の約500年間であった。土器は繊細な手造り技法によって用途別のものが作り出され、実用と祭祀用の区別もされ、朱塗りや漆塗りの土器も出てくる。非実用的なものは、土器に限らず石製の金属模造品や木製の朱塗り飾り太刀なども作られた。土偶の頭髪にも種々の髪形があり、首飾りを着け、衣服も模様に趣がある。狩猟・漁労に依存した自然採集経済の段階の中にも、生活内容が豊かになってきたことを物語っている。なかでも、これまでの縄文文化に大きな変化を与えるようになったのは金属器文化である。石刀という石製模造品の出現は、縄文晩期の後半期であるが、金属器の渡来による生産様式の変化は、縄文文化の動揺を決定的なものにした。