フゴッペ彫刻の系列(「フゴツペ洞窟」名取武光による)
記録のない時代の生活は、遺跡から発見される住居址や墳墓などと、伴出物から総合判断することが多いが、遺跡や遺物だけから風俗、習慣を知るのは容易ではない。洞窟壁画はそうした一面をあかす一助となる好資料であるが、日本ではほとんど発見されていない。フゴッペ洞窟の壁画は宗教儀礼の原始絵画で、仮装人物と狩人、漁師、動物など200点以上もが描かれている。彫刻絵画の類例は前記したようにシベリアや北方ユーラシアの岩壁彫刻にあるが、壁画だけからは民族の移動を考えることはできない。
フゴッペ川の川口近い海岸から200メートルの所に独立した小山があり、あたかも丘陵の突端だけが海岸寄りに切り離されたような山で、丸山と呼ばれているが、赤い砂岩の山膚は浜風でさらさらと崩れ落ちる。発見当時はこの丸山の中腹あたりに人がようやく入れる程度の穴しかなかったが、礫層の基盤まで13層の自然貝層を含む地層が7メートルも堆積し、前庭部が海砂で覆われていたので、かつては波打ち際であった。洞窟の大きさは奥行約7メートル、幅約6メートル、高さ約7メートルで、壁画の構図は奥壁の上部に仮装した人物像が数十人並んでいるものを始めとして200以上の絵のほとんどが人物と仮装人物で、動物の仮装をした有角人と、鳥の仮装をした有翼人が主役を演じている。狩人とか四足獣は中段からやや下に、人の乗った舟やオットセイ、クジラや魚は壁面の下方に描かれている。人物像では両手足を開いて踊っているようなものや、肉付きを表現した彫りの深いがっちりとした人物もいる。主役の有角人は雄鹿などの毛皮を着け、また有翼人は大鳥の羽根を腕に着けて空中を舞う姿を表現したもので、呪(じゅ)術のような宗教儀礼を表現している。毛皮や羽根を飾り付けた仮装人物の登場は、依然として生活基盤が狩猟や漁労にあったことを物語っているわけで、舟に数人が乗り込んでいるのは漁師でもあり、海洋に乗り出す勇者の表現でもある。北海道を離れて日本海沿岸から太平洋沿岸に進出した江別集団は、舟で移動したことであろう。