フゴッペ洞窟から出土した石器の総数144点の中には狩猟具である石のやじり類がわずかに4点、石槍は1点より含まれておらず、石製狩猟具が非常に減少していることが報告されている。4点のやじりの内、明らかに狩猟用とわかるものは2点で、二等辺三角形の黒曜石製である。石槍も至って粗末な黒曜石製であった。江別式墳墓では後半まで石のやじりが副葬されているが、形態も前半期の柳葉形や有柄のやじりと違う無柄の二等辺三角形で板状のものである。石製やじりの変化は弓矢の変化をも示す。アイヌ土俗品の矢は熊笹を矢竹とし、鹿角製鏃柄に銅板や竹のやじりを着装する。鹿角製の鏃柄は矢に重みを与えて速く遠く射飛ばす効果をねらったもので、竹のやじりは内側にブシの毒を塗って使用する。銅板製や竹製の矢先は二等辺三角形で、この時期の後半の石製やじりと形が似ている。石のやじりの変化と石槍の衰退現象は、狩猟具の改良を物語っており、ブシの毒などを使用すれば石槍を用いなくとも容易に狩猟ができるわけである。フゴッペ洞窟から鹿の骨と鹿角製品が多量に出土しているが、鹿狩りは彼らの狩猟生活で重要な仕事であったと思われる。毒矢の出現と共に弓も改良され、鹿角製の弓弭(ゆはず)が取り付けられる。有角の仮装人物像も雄鹿の毛皮をかぶった狩人の祭り姿であろう。鹿皮は熊の毛皮と共に交易品となったであろうし、毒の製法と使用法の修得は狩人たちの社会的地位を確立させ、生活を安定に導いた。
江別式の後半になって石のやじりと石槍の衰退が著しく現われ、石製狩猟具は姿を消してしまう。利器としての石器も減少し、代わって円形の掻器が登場する。その他の石器は石を打ち欠いた剥片の一部に刃を付けただけの粗末なものとなり、完形化した石器は少なくなる。石器の減少は鉄器の導入による現象で、漁労具など骨角製品の製作にも鉄器が用いられ、移入された鉄器によって、利器としての石器は顧みられなくなってしまう。また、木製品や樹皮製品も盛んに作られるようになる。