江別式の時期になると鉄器やガラス玉が出土する。河野広道は後北B式(江別Ⅱ式)の墳墓から刀子や短剣が出土するので、金石併用時代として時代区分した。後藤寿一は江別市町村農場の後北B式の墳墓から出土した鉄製短剣について、全長17.5センチメートル、剣身3センチメートル、身幅2.7センチメートルで、茎(なかご)は失われ、木質部に樺(かば)皮が巻かれていたと報告している。江別式の鉄器出土例は極めて少ないが、何らかの形で移入され、鉄製短剣、刀子は武器としてではなく、祭儀の器具として渡来した可能性がある。短剣は日本で弥生時代に続いて古墳時代の前半に多く出土している。刀子は小刀のことであるが、大刀と同様に古墳時代になってから造られるようになる。実用よりも装飾化され、刀身より外装に変化を見せ、直弧文という特殊な構図と文様の鹿角装具や金銅装具のものなどがある。大刀の造りには平造り、切刃造り、鋒(きつさき)両刃造りとあるが、鋒両刃造りは剣のような刃造りで、中国から渡来した様式である。江別の短剣は剣身が13センチメートルと、これまで日本で出土しているものより短かく、あるいは木工具の鉇(やりがんな)であったのではないかと思われる。刀子の柄などに鹿角が用いられるが、直弧文の鹿角装は東北地方でも出土例がない。しかし、北海道大学医学部北方資料室に礼文島出土の直弧文の鹿角装が収蔵されている。これは鞘(さや)尻にあたる部分で、構図や文様から古墳時代の5世紀の直弧文で、北海道で古墳文化との関係を調べる上で貴重な資料である。ただ、伴出した遺物との関係が明らかでない。
鹿角刀装具の直弧文(礼文島出土・北海道大学医学部アイヌ標本室蔵)
江別式墳墓から硬玉製管玉や琥珀(こはく)の臼(うす)玉、ガラス玉が出土したことが報告されている。編年的に古い江別式土器に伴う玉は、極めて細い硬玉製管玉と琥珀の臼玉で、新しい江別式土器に伴う玉はガラスの平玉や管玉で、色は紫、青、あめ色である。特徴的なのは琥珀の臼玉が多量に出土していることである。
江別式に見られる古墳文化の要素は、古墳時代の前期から中期の古い時期のもので、本州では東北地方でも類例のないものである。これらがどのような経路で移入されたかは今後の研究に待たなければならないが、直弧文の鹿角装が朝鮮半島北部からも発見されているので、江別文化については鉄製短剣やガラス玉のように、中国など大陸文化との関連も考えなければならない。