市中の警察は、官の町方掛においてこれを担当した。当時、内澗町に御小屋というものがあって、町方掛捕亡方が常にここに在勤して市中の取締りをした。また罪人の糾問などもここで行った。享和3年2月以前は1町ごとに夜回り番2人ずつを置き、夜5つ時(午後8時)より朝6つ(午前6時)まで警邏させたが、同月から町方掛において夜番をすることになった。同年3月、これまで牢屋番2人ずつ市中から差出させていたが、これを免除し、町方掛の担当となった。
なお、この町政はその後明治維新まで行われ、この間変更したところは極めて少なかった。