嘉永3年の戸口

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 天保12年から、更に9年を経過した嘉永3(1850)年の戸口数は次の通りである。
 
箱館
諸士五戸四〇人(男二二人・女一八人)
徒土二六戸一八八人(男 一〇〇人・女八八人)
足軽七九戸四〇九人(男 二一七人・女 一九二人)
五戸八四人(男六九人・女一五人)
社家八戸七七人(男三八人・女三九人)
町々一、六二六戸八、六八二人(男四、二四〇人・女四、四四二人)
一、七四九戸九、四八〇人(男四、六八六人・女四、七九四人)
箱館付村々二、四五六戸一二、九〇三人(男六、九五一人・女五、九五二人)
(市川一学の記録)

 
 これによってみれば、天保12年以降9年間に戸数333戸、人口2,299人を増加し、箱館近郷村々は262戸、2,683人の増加をみせている。ただし天保12年の戸口は士卒および寺社を省いたものとも思料されるので、嘉永3年の分から仮りにこれを除いて計算しても、箱館は戸数210戸、人口1,501人を増加している。また『蝦夷実地検考録』によれば、嘉永6年の箱館戸口は戸数1,739戸、人口は9,419人となっているが、士卒、寺社が集計されているか否かは不明である。