物価

644 / 706ページ
 当時代には国内の不穏と外国貿易の開始などによって、前にも述べたように物価は次第に騰貴し、ことに長州征伐によって一層暴騰し、慶応元年3月の箱館における下り荷物は、前年に比べて1割5分高を示し、秋になると白米1升銭480文、みそ1貫匁銭1貫50文となった。同2年には各地の米価はますます値上がりして、箱館においては白米1俵金4両以上に達した。しかもこの年の秋は凶作で、ことに奥羽地方がはなはだしく、その上に銭価が非常に下落したため、箱館市中は米1俵金6両余となったので、官では備米を出して玄米1升を銭540文で、1人1日5合を限り売下げたが、ついには米3合、大豆3合に減らさざるを得なくなり、市中の密売買では米1升銭1貫5、60文にさえなった。同3年春になると官では津軽から買蔵米を移入し、続いて広東(カントン)米5、6000俵を輸入した。その後米の輸入も多くなり米価はしだいに下落し、やや安堵するようになった。こうした物価の暴騰は一般住民の生活を極めて不安にしたことはもちろんであるが、奉行所の財政にも少なからぬ影響を与えた。