外人の見た箱館

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 一方、箱館開港によって諸外国人も多く来ているが、彼らはどのように箱館住民の生活を見ていたか、『ペルリ提督日本遠征記』によって、これらに関する部分を抄録すると次のように記されている。

洗濯の図 「洋夷茗話」より

家屋。函館内の建物は大部分は一階建で、色々な高さの屋根裏部屋をもっている。階上の部分は往々居心地よい部屋になっているが、普通は貨物や材木を蔵っておく暗い部屋又は召使の寝所に過ぎない。屋根の高さは地上二十五呎以上のものは稀である。屋根は頂点から次第に下って軒は壁よりも突き出ており、接手(ジョイント)と繋梁で支えられ、大低は手の大きさ位の小さい屋根板で葺かれている。その屋根板は竹釘で打ちつけられているか、竹釘の代りに長い板片で押えその上に動かないように、何列もの丸石がおいてあったりする。……上流の家屋二、三及び寺院は樋形に仕上げをされた褐色の土瓦で小ざっぱりと葺かれている。より貧しい人々は僅かに草葺の小屋で満足せざるを得ない。その草葺の上に屡々野菜や雑草が豊かに生えている。その種子はうろつき廻る鳥が蒔いたものである。一般に建物の壁は、内側や外側に塗った松坂を縦に打ちつけてつくられ、すばらしい巧さで組立てた骨組になっている。家の前面や背後の板は雨戸(シャッター)のように、閾(しきい)の溝を水平に滑るようになっている。夜になるとしっかりと閂(かんぬき)がかけられ、昼間は全部それを取り除けて、その背(うら)にある障子から光が自由に入り込むようにつくられている。………家の前の方は貨物の陳列に、後の方は色々な家内作業を行うのに使用されている。日本の木造建築物は決して塗っていない。……そのために建物は平凡な全くみすぼらしい様子をしている。……家を建てる前には地面を叩いて平にし約二呎の高さの床(ゆか)を設け、家の前面と片側には空地を残しておく、その上には屋根がつき出して雨風を防いでいるので、その空地は家の背後に通ずる路に使用されたり、重い品物を蔵っておく場所として役立つ。……店舗では前の方全部が店の物を陳列するために取っておかれるが、住居や手工業者の建物では通りすがりに屋内のものが見られないように、竹を横に並べてつくった粗格子をとりつけてあるのが普通である。……床の上には、藁で裏付けして厚く柔くした白い畳が敷いてある。……人々はこの畳の上に座って食事をし商品を売り、煙草を吸い友達と語り、夜寝るのである。……屡々観察したところによると、一般に油紙の窓が明りとりになっている。
 日本家屋の家具は特に貧弱で、いづれも畳と台所の道具以外には何もない。台所道具も数が少なく簡単である。腰を掛けないで坐るのが殆んど一般の習慣だから、椅子の必要な場合はないようである。但し椅子も往々見たのであるが何時でも儀式の際に供せられたのであった。これらの椅子は粗末な革の座布団をとりつけた不恰好な構造のもので、使はない時はたやすく畳んでおける普通の天幕(キャンプ)椅子のような組立である。……日本においてはあらゆる階級が休憩する時の国民特有の姿勢は、膝をつくか又は脚を組み臀をついて蹲るのである……一般にテーブルは使用されていないが、アメリカ人が饗応された公の宴会の際には、赤い縮緬で覆われた細長い腰掛を御馳走を並べるのに用い、御馳走は高さ一呎、十四吋四方ある普通の漆塗の台に載せて、賓客にふさわしい高さにされていた。日本人は畳の上に坐りながら、これ等の高い盆から食事をするので、従って自分の食事を各自別々にするために非社交的な習慣になるのである。……普通彼等は汁の上に浮んでいる魚切れを、はしではさんだ後、饑えた子供のやるように直接椀からスープを飲む。
……函館では、人々は冬の天候のために大いに悩まされているらしかった。貧乏な階級は大低家の中に閉じ籠もり、茅舎の中で乏しい火のまわりに集っていた。その小屋には煙突もなく、紙の窓から僅かの光のさし込むだけでひどく寒く、陰欝で気持が悪かった。
 函館の店舗は一般に貧しい人々の限られた必要を充すべき低廉な種類の貨物を売っている。在庫品は粗末な厚い木綿、下等な絹、普通の陶磁器、漆を塗った椀、コップ、台、箸、安い刃物類、既成品の衣服等種々雑多なものである。毛皮、毛氈、ガラス器又は銅製品を見ることは稀であり、書籍及び文房具も普通は余りない。食料品店には米、小麦、大麦、豆類、乾魚、海草、塩、砂糖、酒、醤油、木炭、甘薯、小麦粉、その他より必要でない品物があり、いづれも非常にたくさんあるように見える。町には公設市場がなく、又牛肉、豚肉又は羊肉はなく、鶏肉は極めて少しばかりある。野菜や大豆と米粉でつくったチーズのような固形物は路上を触れ売りされ、人々の主なる食料となっている。……店員達は甚だ内気で最初アメリカ人に品物を売ろうとは殆んどしなかったけれども、外国人とやや親しくなり始めると、商人独特の熱心さが自ら極度に現われ、函館の商人も……商売には抜目ないことを示した。

 
 まことに詳細を極めた観察をしている。