新政府征討軍の編成

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 明治元年10月25日、箱館を逃れて青森へ上陸した清水谷公考箱館知府事は、箱館権判府事堀真五郎を上京させ、新政府首脳へ征討軍の派遣を依頼した。新政府は清水谷を箱館知府事のまま軍務官の青森口総督に任じ、東北征討戦の参謀である長門萩藩の山田市之允を海陸軍参謀に任命して青森に派遣、征討準備に入った。しかし、松前藩があっけなく脱走軍に敗北したことや、海軍力が整備されていなかったこともあって、箱館征討は翌年雪解けを待って開始することに決していた。
 脆弱な海軍力に悩んでいた新政府軍は、局外中立の撤廃布告により、アメリカ合衆国から最新鋭艦ストンウォール・ジャクソン(甲鉄)が引き渡され、海軍の核が出来た。この軍艦は、もともと徳川幕府が代金40万両の内前金30万両を支払ってアメリカから購入した軍艦で、明治元年4月に横浜に来ていたが、局外中立ということで幕府側にも新政府側にも引き渡されずアメリカ合衆国公使の支配下にあった軍艦であった。
 翌年2月25日、増田虎之助を海軍参謀に任じて体制を整えた海軍は、3月9日、甲鉄、陽春、春日、丁卯、飛龍等8艦で品川沖を出帆し、21日までに全艦宮古湾に入った。その後、次に述べる宮古湾の海戦を経て、26日には全艦青森に入った。青森に集結した新政府軍の概要を図示すると図1-2のようになる。

図1-2 新政府軍組織図