函館郵便役所の設置

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 明治4年8月の通達で、郵便役所開設地へ打合せのための官員派遣を決めていた駅逓寮は、5年3月15日に都築駅逓権大属、望月駅逓権少属を函館への派遣を決定した(4月下旬函館到着)。函館に着いた彼らは、郵便役所庁舎の選定、その庁舎勤務の駅逓寮職員の人選、函館出張開拓使庁内に郵便事務担当者を置くこと等を開拓使に要求した。郵便役所庁舎は「郵便役所御取設ケ相成場所差向無之候ニ付、当分仮役所ノ積ヲ以海関所ノ内間仕切イタシ郵便役所御取開ノ都合取計申度」ということに落ち着き、海関所の一隅(現大町13)が仮郵便役所となり、6月22日引渡された。函館詰駅逓寮職員には、上村三省(函館寄留、駅逓寮13等出仕)、松平(積次郎)正直(函館寄留、駅逓寮等外2等付属)の2人に決定、開拓使側の担当は、6月8日に採用が決定した池田易直(11等出仕、庶務掛)、三井一作(等外1等付属、会計掛)の2人で、兼務発令は14日に行われた(各支庁・各出張所「郵便上往来」、「開公」5732)。
 その上で駅逓寮は5年6月14日「国内一般郵便御開ノ事」と題した次のような布告を発した。
 
来ル七月朔日ヨリ北海道後志胆振両国以北ヲ除クノ外、国内一般諸街道脇往還共県庁有之地ハ勿論、港津市駅等公私ノ要事繁多ノ地ハ、総テ其地ノ模様ニ寄、毎日或ハ隔日、或ハ毎月五六度宛往復ノ郵便相開、右往還筋近傍ノ市村ヘモ夫々往復相成候条、従前ノ規則相心得、信書等各地郵便役所及ビ郵便取扱所等ヘ可差出事
(「太政官日誌」『維新日誌』)

 
 函館以南のすべての「要事繁多ノ地」について、5年7月1日から郵便網が整ったことを宣言したわけである。