町用扱所

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 当初、大区の事務を執る所として「町用扱所」を各大区に設置することを企画した。明治6年4月16日に開拓使函館支庁の会議所(第1節参照)へ提出された議案中に「町用取扱所三大区ニ設ルノ儀」というのがあり、原退蔵大主典をはじめ7名の函館支庁幹部が可否を花押付で署名している。原退蔵大主典が「戸長輩ノ所見ヲ問サレハ可否発難」と意見を保留した以外は、岡本長之大主典の「可トス、但下民ノ情ヲ得テ決定」との意見に同調している。これとは別に、開拓大主典有竹裕と邏卒権検官山内久内が「答議」を提出、町用扱所の必要性を述べているが、有竹の答議が簡潔なので要点を次に掲げておく。
 
三大区中ヘ一ヶ所宛町用扱所ヲ置ベキ事 但東京ノ例ニ倣フテ邏卒屯所ニ接近スベシ
扱所平素ノ事務ハ、町内ノ諸取締ヲ初メ願伺等ヲ簡便ニ取扱フベキ事
扱所ヲ以テ非常防禦ノ備ヲナシ、日夜ノ守衛ヲ掌ルベキ事
正副戸長ノ如キハ民事局ニ接近セシ所ヲ詰所トシテ出勤シ、事務ノ気脈絶ザルヲ可トス、町用掛モ交番ニ出勤スベキ事
扱所ニハ町用掛交番ニ当直スベキ事
扱所ニテ火ノ番ノ者四人ヲ抱置、徹暁廻方ヲナスベキ事
町内ヨリ毎戸一人宛順番ヲ立、毎夜火ノ番ノ助ヲナスベキ事
扱所ノ傍ニ非常道具ノ置場ヲ設ケ、龍吐水手桶水桶鳶口其他器械ヲ備置ベキ事
扱所ノ傍ニ長楷子ヲ建設シ半鐘ヲ釣置、非常ノ急ヲ報スベキ事
非常ノ節ハ早拍子木ヲ以テ町内ヲ廻ルベキ事
(明治六年「会議書類」道文蔵)

 
 これをみると、ここでいう扱所は、大区を担当する戸長が在勤する本来的な施設ではなく、次に述べる町用掛所管の小区扱所のようなもので、「火の番」を置き消防道具も設置した火事見番屋を兼ねたものを意識している。山内の「答議」にも「戸長ヲ庁中ニ置、町用扱所更ニ三区ニ分ツ、其区ノ常用非常ヲ取扱、締向相立候事便利ト謂フヘシ」とあって、戸長が勤務する場所と区内の諸務を取扱う町用扱所はまったく別の場所との認識に立っている。
 しかし函館では、開拓使官吏が意図した町用扱所は設けられず、市民の願伺届等の窓口は、町会所対応のままであった。