またこの第1回通常区会では、区会開設の請願の際に構想されていた1町または数町連合の町議会を模索する議案も審議された。第15日目の6月22日、第8号議案函館区夜廻番人規制が提案され、第2次会に入った時、安浪次郎吉は「この議案は各組毎に事情が違うので各組内限りの便法を設けるべきではないか」と発言、過半数がこの意見に同調し原案は廃案となり、同時に町内見回りのための夜回番人経費予算案(第9号議案)も廃案となった。続いて第11号議案各連合町協議費(消防費戸長役場借地借家料修繕費井戸費小橋修繕費戸長以下報労)予算調が提案されると、向井藤蔵が「これも八、九号と同様に組内限りの便法を設けたい」と発言、これも過半数の賛成を得て廃案となり、翌日第10号議案函館区各組或ハ一町限リ共有財産所務取扱規程も同様の理由から廃案となった。
そこで8号から11号までの代案を作成することになり、第18日目の7月8日、「八号ヨリ一一号マデノ各件ニ於テハ、一組内又ハ一町限リニ関スルモノナレバ、区会ニ於テ決議スルモ其適当ヲ失スル事ナキヲ免ガレズ。故ニ其一町毎ニ協議ニ任ズベキ人員、則一町ニ二名宛事務協議人ヲ置キ、其町或ハ其組内適宜ノ方法ヲ設ル事ニ決定セリ。故ニ各組ニテ事務取扱ノ規程ヲ定ムル」(明治14年「区会議事録」)という提案理由により各町事務協議人事務取扱規程が議案として提案された。
町議会構想はまず各町に事務協議人を置くこととなり、事務取扱規程が議決された。この規程は10か条からなり(ただし第10条の再議、3議制は議決の際削除された)、1町限りの事件は協議人と組合頭の協議で、1組内の事件は各町協議人の合同協議の多数決で決定することとした。協議人は町内一同の投票で最多数の者とし、被選挙資格は区内に本籍住居を定めた満20才以上の男子(1か年以上当区内寄留者も可)であった(同前)。
しかし、事務協議人は各組の行政責任者である戸長の権限内で機能するものであり、その戸長自身が幾許もなく廃止へ向かったこともあり、十分な機能を発揮しなかった。明治15年の区会では、事務協議人に代るものとして連合町会規則が議決されたが、内務省の指示でこの規則の施行は見送られ、事務協議人は存続した。しかしその後、「戸長役場被廃候以来啻ニ其必要ヲ感ゼザルノミナラズ、反テ区政上ノ繁雑ヲ来タシ候ニ付」ということで、明治18年3月の区会に事務協議人の廃止が諮問された。この時は「尚ホ幾分ノ差支ヲ生ズベク」として存続に決定したが、翌19年12月の区会に「単ニ組合頭ヲ置クノミニテ実際毫モ差支ナキ」と再度廃止が諮問されると、今度は全会一致で諮問案が了承され、事務協議人は廃止されたのである。
ところで組合頭がいるので事務協議人は必要ないとされた組合頭は、明治18年7月31日の区役所告示で「今般更ニ組合頭ヲ選定セシメ、各受持区域ヲ明記シタル標札ヲ其門戸ヘ掲ゲ候条、自今右等ノ場合(組合ニ入リ又ハ他ヘ移転スルモノハ皆能組合頭ニ届ケ)於テハ口頭ヲ以テ必ズ届出候条篤注意スベシ」(「函新」)と、組合頭の改選と任務の徹底が指示された。さらに20年11月には「函館区各町組合頭選挙及勤務心得」が出され、組合頭設置基準等と任務についてより具体的なものとなった。
組合頭の設置基準は1町内2乃至20名、資格は年齢20歳以上の男子で品行端正身元確実の者、任期は満3年無給料、選挙会は1町内又は1組合単位に開催、選挙結果は区役所へ報告、名札(自何番地至何番地組合頭)を区役所から受けて門戸に表出、転居退職等の場合は必ず後任を選挙前後任連署で届出など、こと細かなものであった。
また組合頭が処理すべき事項として、「各区画内戸口点検等ノ節ハ案内スルコト」「組合区画内居住人名簿ヲ製シ出入各戸口ヲ明ニスルコト」「道路下水溝渠破損所等ノ取調及不潔ノ箇所各自組合ヘ修繕又ハ防除方督促監査スベキコト」「悪疫流行ノ節各自組合ヘ予防方奨励等ノコト」「一町内又ハ一区域限リノ共有物件ニ関スルコト」(明治20年11月5日「函新」)の5か条が示されていた。
その後、コレラ等の流行病予防のため23年7月30日に衛生組合設置に係る訓令(北海道庁訓令第57号)が出され、戸数200戸を基準に衛生組合が設けられ、函館では先に掲げられた任務中に悪疫流行の予防奨励とあったこともあって組合頭がその衛生組合の長となって、伝染病予防を主眼を置いて町内の衛生を担当することとなったのである。