演説会を主導したのは福沢諭吉率いる交詢社の社員で、彼らは開拓使と関西貿易社の癒着を中心に政府攻撃の一大キャンペーンを行なった。特に8月25日の東京新富座の演説会は3000余の聴衆を集め、政府系新聞記者といわれていた東京日日新聞社長の福地源一郎(桜痴)もトリとして登場、払下げを決定した政府の責任追求に熱弁をふるったという。また交詢社々員は函館にも足をのばし、函館支庁が山本ら区民総代の再請願を却下した9月10日の夜、会所町宝亭で山本忠礼を会主に演説会を開催した。この演説会の様子を「函館新聞」は次のように報じている。
会所町宝亭にて開きたる政談大演説は当港にては未曾有の盛会にして、開演の定刻前にはや立錐の余地もなく(中略)無慮千二百~三百名余にて互ひに身うごきもならぬ程なりしと。七時定刻に山本忠礼氏の演説「開拓使を廃して県となすの利害」には当道人民の独立心を引立てて十ヶ年以来干渉に厭苦せし民心には一日も早く内地人民と均しく県治の下に安息せんとするの思想に投合し、次に九岐晰(東京各新聞の惣代)氏の「御巡幸の結果」の論には、御還幸あらせ玉ひなば如何なる仁の露の当道民草を濡し、如何なるお土産を拝賜する事かと、そぞろ心待の感を起しぬ。次に矢田績(交詢社員)氏の「之を将来に防ぐの道如何」并に高木喜一郎(交詢社員)氏の「国会論」は論題こそ違へ其の開拓使官有物払下の現患を看破し去り、深く其肺肝に入ってかかる現患を発生せし所以は、憲法未だ立たず国会未だ開けざる寡人政府の通弊なれば、政府の組織を改良すべしと、根を断って葉を枯らすの高説に人々いよいよ国会の忽せならぬに感奮したり。而して各氏とも雄弁を揮ひ其政弊を痛論するに至っては、拍手喝采の声は賛成同意を表する如く、演者も余りに其喝采の盛んなる時は口を閉ぢて鳴の止むを扣ゆる程にてありき(中略)(人民は)無気なり無力なりと、兎角思召たまふ髯のはえた先生方は、此景况を見て如何ご勘考あるか。是を見ても今回のご所置は不正なり不義なりと底にはお気がハテ未だ付かれずや否や |
(明治十四年九月三日「函新」) |