当時の生活廃棄物は現在のように施設を利用して処理されていたのではなく、直接的に廃棄場所に処分されていたのであった。そのため当時の生活環境の面で問題になるのは、町の清掃についてであった。国の段階でも清掃の目的は「市街、道路、溝渠、便所、下水、肥溜等を掃除し、その修繕、改良の方法を講じさせること」(『内務省史』)と明確化している。これと関連して函館においても次のような市街掃除規則が明治12年2月20日に布達されている。
市街掃除規則 |
第一条 居宅前道路ハ不潔ナキ様掃除スヘシ、但塵芥ハ兼テ定置シ塲所ヘ投棄スヘシ |
第二条 降雪ノ時弁天町ヨリ大通筋海岸町迄西浜町ヨリ海岸通船塲町迄ハ、之ヲ河海下水其他通行ノ妨トナラサル場所ヘ取棄テ道路中央ニ積置ヘカラス、但本文ノ外ト雖可成丈右ニ準シ取棄方注意スヘシ |
第三条 橋々ハ該町ノ町用係ニテ擔當シ時々掃除ヲ為スヘシ |
第四条 下水及埋樋等ハ年々両度四月十月浚方ヲナスヘシ、尤土砂塵芥等流通ヲ妨ルトキハ定期ニ拘ハラス取除クヘシ、但シ浚方不行届場所ハ区務所ヨリ直ニ之ヲ爲シ其費金ヲ徴収スル事アルヘシ |
第五条 下水ヲ浚ヘタル淤泥並塵芥等ハ人家遠隔ノ地ニ搬出シ、路傍ニ堆積又ハ道路修繕ニ用フ可ラス |
第六条 此規則ハ左ノ区別ニ從ヒ其責ニ任スヘシ |
第一項 道路掃除ハ官私ノ別ナク地主地借店借ヲ問ハス總テ現在ノ居住人ニテ負荷スヘシ、但広場並火除地ハ下水外ヨリ地先五間ヲ定限トス |
第二項 家屋両側ニアル者ハ道ノ中央ヲ折半シテ負荷シ、其片側ナル場所ハ全路ヲ負荷スヘシ |
第三項 空家及空地ノ周囲ハ其家主地主ノ負荷タルヘシ |
第四項 空地掃除又ハ下水及修繕等ハ地主ノ負荷タルヘシ |
第七条 炎天ノ候及烈風等ノ節ハ度々路上ニ水ヲ灑クヘシ |
第八条 溝渠ノ汚水ハ勿論魚鳥其他汚穢物ヲ洗滌シタル水ハ決テ路上ニ灑ク可ラス |
第九条 塵芥及汚水汚穢物等道路又ハ河壕下水等ヘ投棄ス可ラス |
第十条 荷拵ヘ又ハ炭薪積卸等ニテ塵芥散布スル時ハ其都度掃除スヘシ |
第十一条 下水ニ堰ヲ設塵芥ヲ滞積シ流通ヲ妨ク可ラス |
第十二条 斃タル獸類ハ従前ノ手続ニテ大森浜斃獸埋没塲ヘ埋没スヘシ但獲殺セル野犬ノ如キ成規アル者ハ此限ニ非ス |
(『布類』) |
その後明治28年の内務省の訓令によると、「清潔ハ伝染病予防上特ニ之ヲ人民各自ノ施措ニ委スヘカラス、区町村ニ於テハ之カ責ニ任スルハ勿論、伝染病流行ノ虞アルニ当リテハ殊ニ周到ノ措置ヲ要スルニ付、左ノ各項ニ準シ実施セシメラルヘシ」とあり、(1)市町村は清潔保持の方法を定め自らその施行の責に任ずること、(2)溝渠下水・汚水溜等は常に浚渫するとともに、その設置を速やかにすること、(3)塵芥及び汚物は毎週2回以上収集し、衛生的に運搬及び処分することを強調し、ことに警察上の取締り、当該吏員の厳重な監督が行われるよう指示している。
これらを受けて函館区では明治28年度臨時区会にて、北海道庁の訓令により設置された函館衛生会の答申書を受理したうえで、清潔法施行費支出を決議していた。当費は前年度の残額より支出しており通常の計上費には至っていないことが理解できる。また、先の衛生会の答申書の中には「函館区内各市街ニ清潔法施行スルニ際シ、充分ノ目的ヲ達セントスルニハ、下水溝渠糞地ノ改良等公衆衛生上ノ大工事ヲ完成スルノ暁ニ非ザレハ、純然タル消毒的清潔法ハ得テ望ム可ラザルナリ」と理想像を述べているが、現実的対応として提示したものは、一時的な清掃と消毒だけによる施行であった(明治27年~36年「決議書綴」)。しかも、この予算化すら次年度までの区会史料から知ることができるのみである。
次に明治33年3月に内務省において汚物掃除法を制定し、汚物の処理を市の義務として清掃の徹底を図ることになった(『内務省史』)。これに関連して函館区においては、明治34年9月に「汚物掃除規程」が決議された。これによると(1)掃除義務者の汚物の収集を3日に1回行うこと、(2)公衆便所の掃除汲取を毎日行うこと、(3)公共溝渠の汚泥浚渫を年に2回行うこと、(4)掃除区を5地区に分けること、(5)掃除は区が直接施行するか請負人が施行する場合もあること、(6)掃除は事務吏員が監視すること、などが決められた。この時期は予算項目のうえでも整理され、明治33年度においてそれまで土木費であった塵捨場費、市街便所費などが衛生費に変更され、道路下水掃除費が新たに同費の中に計上された。また次年度より汚物掃除費が新たな項目で予算計上された(明治27年~36年「決議書綴」)。
このようにこの時期は清掃により生活環境を守る段階であり、上位からの達しにおいてもその点の指導の域を越えるものではなかった。そのためか、函館においては上水道の敷設によりたしかにコレラ患者については減少したのであるが、その他の伝染病については人口増加を考慮しても患者数は増加しているのが現状であった。この点について明治35年10月22日の「函館公論」は「区衛生と水道」という小見出しの中で、このような統計数値を掲載しこの実態を留意する必要性を説き、「下水改良等の工事と厳重に取締法を設けられたき」と論評した。つまり上水道敷設による都市整備は、人口増加による生活廃棄物の増加をもたらし、これらの処理の未成熟による生活環境の悪化が指摘でき、新たな伝染病患者を生む要因となったとも考えられるのである。