通船については、明治15年8月11日甲第25号函館県布達「通船并船夫取締規則」が出され、同年8月20日施行となり、ここに、始めて、艀と区分される通船が出現し、法的行政的に裏付けされる。全30条のこの規則の第1条で、通船は「函館港内ニ碇泊スル外国船及ヒ内国船西洋形日本形船ノ船客ヲ送迎スルヲ通船ト云フ。」と明確に定義される。
第2条から第7条迄は、第2章とされ、「営業免許」の規定である。この営業を行わんとする船主は、取締人並に戸長の連署を以て函館区役所へ出願免許を受く(第2条)、免許を得た営業者は特定の号旗号灯を製して就業の際船にかかげるが、号旗は区役所の認印を受け、廃業の時は、号旗に消印を受ける(第3条)、通船に集まり、営業者より雇用される者を船夫というが、船夫営業をなさんとする者は、願書に取締役連署の上戸長の実印を乞い、所定鑑札を函館区役所に願出、検印を受く、廃業の時には鑑札に消印を受ける(第4条)、通船、船夫営業は、函館区に本籍、寄留する者に限ると共に、通船営業の場合は、通船所持者に限る(第6条)、営業船数は、過剰と認めるときは、新規営業願を許可しないこともある(第7条)。
第3章は「取締人、世話役選挙」で「営業上一切の事を統理する」のが取締役(任期満4年)で、営業人の公選による。世話役は、定員なしで、取締役が選挙し、両方共、函館警察署出港税係、区役所及び函館税関に届出る。取締役は営業船を所持する者に限り、まず世話役営業者の中より選定すべし(第9条)という、奇妙なことになっている。
営業船所有者10人を1組とし、各組小頭1人を定める、この小頭が又取締人選挙及び営業上に係わる諸費其他の協議を決定せしめるべしとある(第10条)。
第4章は「船主、船夫心得」である。船客及び手荷物を陸揚げする場所が次の3か所に定められた(第11条)。
一 東浜町運漕社前波止場、一 同町 勝田弥吉前波止場、一 豊川町常備倉裏波止場
この場所以外へ運搬の場合でも、一応、この所定の波止場に寄り、取締、世話役へ届出、相当の賃銭を受け取ってから送致する、序に他人を乗せ帰ることは禁止(第12条)、内外人を問わず、貿易商品の密売買及び商品の運漕、媒介禁止(第13条)、鑑札、号旗、号灯の貸借禁止(第16条)、営業人の監督官庁は、税関取締上に付ては、税関監吏、港内取締については、出港係吏員(第18条)、船客及手荷物運漕賃銭額は、予め届出、認可の上、波止場に明文で掲示する。この額外の賃銭請求は禁止(第21条)。
第5章は「通船臨時心得」である。風浪又は事故で通船が使えない場合は「荷足り船」で送迎する、但し許可を受けた場合は「荷足り船」で船客送迎可(第23条)。
第6章は「取締人世話役心得」であり、取締人は、通船船夫営業出願者及び廃業について、謂なく営業人を束縛してはならない(第25条)。取締人は、この規則に基き申合規則(船主及び船夫の心得すべて)を作り、届出る(第26条)、取締役は営業については警察署と出港税係の差図に従う(第28条)。
第7章は「罰則」。
この規則は改正があったが、それは次の通りである。
取締人の任期を2年と改め(15年10月)、営業船を所有しなくとも、時宜により区役所の見込で、船舶取締営業者(三菱会社、共同運輸会社、運漕社、帆前船会社又は荷船所有の者)に限り、指名、選定できることにした。
また、船客上陸乗船、手荷物陸揚、積入れは、所定の標木をかかげる場所に限り、外国船へ乗組み旅行する日本人の乗船上陸場は、東浜町臨検所脇波止場に限る。
明治19年、規則中「函館警察所」を「函館水上警察署」に改めた。以上の通り、精密に通船の取締規則は制定、実施されたが、これは、明治13年9月の函館通船騒動が原因と考えてよいのではないだろうか。騒動を起こさなかった艀の方には、この後も通船のような取締規則は出されていない。