ところが、思いがけない障害が突発した。明治40(1907)年8月の大火である。函館商工会議所発行の『函館経済史』には次のように書かれている。「偶々明治四十年八月の大火災によって、営業倉庫中金森倉庫は六棟を、安田倉庫は五棟を類焼し、また一時運送貨物を保管する日本郵船会社の大倉庫八棟を初め、其の他倉庫の焼失もあって、焼失倉庫五三棟(一九、八〇〇平方メートル)に及び、在庫品の損害も海産物、米穀、荒物雑貨等六百万円の大損害を蒙り、市場に大頓挫を招来し、函館の商業上実に言語に絶する大損害を蒙ったのであった」。しかし、「倉庫業界は、元来富商有力者の経営であったため、復興順調に進み、従前に倍加する再建をなし、間もなく隆々と営業を継続したのであった」(前掲書)という驚くべき早期の再建でであった(表5-9)。この表からもわかるように、圧倒的に不燃質の倉庫が建てられたことが注目され、ここに、若松町、海岸町始め、地頸部以東への進出を含めて、大正、昭和の函館の経済の黄金時代の幕が開く。
表5-9 明治42年12月現在の営業倉庫一覧
『函館経済史』より
金森倉庫は元渡辺熊四郎倉庫のこと
倉庫名 | 不燃質建築 | 木造建築 | 計 | |||
棟 | 坪数 | 棟 | 坪数 | 棟 | 坪数 | |
函館倉庫 藤野倉庫 金森倉庫 安田倉庫 竜紋倉庫 弁天倉庫 共栄倉庫 葛西倉庫 本庄倉庫 計 | 6 4 4 4 2 4 4 1 1 30 | 1,052 414 1,180 1,240 434 1,872 1,546 422 132 8,292 | 1 2 4 2 1 10 | 140 488 720 360 22 1,730 | 7 4 4 6 6 6 4 2 1 40 | 1,192 414 1,180 1,728 1,154 2,232 1,546 444 132 10,022 |
金森倉庫は元渡辺熊四郎倉庫のこと