閣龍世界博覧会への参加

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 最後に、(4)に関するものには、商法講究会(明治23年10月より)や「商工業ニ関スル」講話会(明治25年7月より)といった独自の研究会の開催の他に、明治26年アメリカのシカゴで開催された閣龍(コロンブス)世界博覧会への出品、参加という特筆すべき事業がある。その目的は「北海全道並は(に)函館其他要港を世界に広告し、日本の北海道は如何北海道の函館は如何の問題を世界に知らしむる趣向」で、出品物と費用は「大なる軸物五軸の外北海道行程記等なり。其の入費は千二百円を要したり」(久松義典『北海道通覧』)と伝えられているが、この軸物類とは、正確に言えば「函館港及北海道概況一覧表」、「函館実測図」、「函館真景」、「北海道全図」、「北海道各地写真」の5軸である。これら函館商工会の出品物は現地で好評を受け、博覧会の審査で「優等」と認定されて「褒賞」を授与された。そして博覧会終了後、これらの出品物はすべて地元のジャクソン・パーク博物館に寄贈された。
 以上述べてきたように、函館における「商工ノ隆盛ヲ計」るため多彩な活動を展開してきた函館商工会であったが、明治28年10月の函館商業会議所の設立認可とともに同年12月をもって解散することとなり、翌29年1月には残務整理を完了した。これを受けて同年3月13日、町会所において最後の総会が開催され、小川会頭以下22名が参加した。この席上、小川会頭は函館商工会の8年間の歴史を回顧しながら、その歴史的役割りについて次のように述べている。
 
満場ノ諸君、本日ノ総会ハ実ニ我ガ函館商工会全ク其終局ヲ告クルノ時ナリ。予ハ本会ノ顛末ヲ略述シテ聊カ会員諸君ノ功労ヲ謝セント欲スルモノナリ。回顧スレハ本会カ明治二十二年四月ニ於テ創立セラレシヨリ今日ニ至ルマテ八ケ年間、而シテ其一年ハ一年ヨリ進歩シ、会員ノ如キモ創立ノ際ニハ僅カニ三十九名ナリシモ其後九十名ニ垂ントシ、本会ノ信用ト勢力モ亦星霧ヲ逐フテ増大ニ至リ、本会ヨリ諸官衙ヘ建議シタル諸件、若クハ商工業上ニ就テ諸官衙ヨリ諮問ヲ受ケタル諸件、又ハ各府県実業団体及ヒ商業会議所等ヨリ調査ヲ委任セラレタル諸件ハ、重要ノ件ノミニテモ百余件ニ渉リ、而シテ其調査報告シタル所ノモノハ皆悉ク当局者ノ参考ニ供セラレ、是ニ依リテ新事業ノ設立セラレタルモノアリ、商工業上ノ法律ニ改正ヲ加ヘラレタルモノアリ、海陸物産ノ改良ヲ促シタルモノアリ。其他商工業ノ振興ニ至大ノ利益ヲ與ヘタルハ、能ク本会ヲ知ル人ノ知レル所ナラン。故ニ敢テ喋々ヲ要セサレドモ此ニ一二ヲ挙クレハ、本会カ嚮キニ米国閣龍世界大博覧会ニ出品シ、以テ日本帝国ニ北海道アルコトヲ世界ニ公告シ、函館港商工業ノ最モ将来ニ有望ナルコトヲ唱道シテ大ニ世界商工業者ノ耳目ヲ聳動シタルカ如キ、又創立以來間断ナク当港船舶貨物ノ輸出入ヨリ其他必要ナル当港商工業上ノ調査報告ヲ世ニ公ニシテ、以テ商工業者ノ参考ニ供シ、世人ヲシテ北海道ノ商工業ニ注意ヲ惹キ起サシメタルカ如キ、又当区ニ在リテ之レヲ云ヘハ、函館取引所ノ如キモ本会ノ主唱セル所ニシテ、函館商業会議所ノ如キモ夙ニ本会ノ主唱シ数々其筋ヘ建議セル所ニシテ、即チ其基礎ハ本会カ之ヲ作レルモノナリ。而シテ是等皆実ニ会員諸君ノ商工業上実利ヲ進渉セシムルノ熱心ヨリ成レルモノニシテ、其功績ハ永ク実際ノ上ニ於テ存在シ、将来商工業ノ発達ト共ニ益々光輝ヲ発スヘキコトヲ確信スル所ナリ。
(『函館商工会沿革誌』)

 
 この小川の発言の中にみえるように、新設の函館商業会議所は「本会ノ主唱シ数々其筋ヘ建議セル所ニシテ、即チ其基礎ハ本会カ之ヲ作レルモノナリ」との自負があった。また、函館商工会の「会員中ノ多数ハ、新設ノ商業会議所会員」であるという事情もあったため、商工会の財産はすべて新設の商業会議所へ寄贈することに決定し、3月16日、函館商工会はその閉鎖事務をすべて完了したのである。