29年2月、東京発起人会が開かれ、さらに発起人を募集すること、従来の補助金下付請願の方針を改めること、資本金120万円の純然たる私設会社として起業することが決議された。そして、前年、函館発起人総会で決議された事項のうち若干が修正され、東京創立委員として渋沢栄一、近藤廉平、大倉喜八郎、園田実徳、阿部興人の5名が挙げられ、函館創立委員の7名と合わせて12名が創立委員となった。
前年作成された創立趣意書には資本金80万円とされていたが、今回は120万円に修正され、表9-17の如く営業収支が予定された。1か年63万余円の収入のうち、仕事高収入が約40万円見込まれているが、その説明として、「函館真砂町造船所ノ現状ヲ見ルニ、船渠及修船台の設ケナキモ、猶一ヵ年平均七万円余ノ工業受負高アリ、故ニ此ノ如キ完全ナル設置ノ整備スルニ至ラバ、之ニ六、七倍スル工業受負高アルハ蓋シ疑ナカルベシ」と書かれている。そして、資本金120万円に対して、純益は10万余円、1か年9.1パーセントの利益率と予想している。
以上のような東京発起人会の決議を携えて帰函した平田等は、29年3月、函館発起人会を開き、東京発起人会の決議は承認された。当初は函館のみの発起人会で会社を設立する予定であったが、国庫補助金を契機として東京発起人会が加わり、さらに大阪方面にも発起人を勧誘(阿部興人が担当)する手筈となった。三月の東京委員会で創立委員長には渋沢栄一、創立事務委員には阿部興人、平田文右衛門、小川為次郎、久保扶桑が推薦された。4月には大阪で発起人会が開かれている。4月29日には、農商務、逓信両大臣より発起認可書の下付があった。5月の東京委員会で株式分配が確定したが、株数は函館、東京、大阪等で3等分されている(表9-18参照)。
かくて6月13日に創業総会を開く準備が完了したのである。
表9-17 営業収支予算
支出 積立金及賞与 純益 合 計 | 円 476,864.50 46,918.65 109,476.85 633,260.00 | 収入 合 計 | 円 633,260 633,260 |
明治29年『函館船渠株式会社創立趣意書』より作成
表9-18 株式引受内訳
地名 | 発起人数 | 発起人 株数 | 普 通 株主数 | 普通株主 株 数 | 合計 | |
株主数 | 株数 | |||||
北海道 東京 大阪その他 合計 | 60 24 21 105 | 6,760 7,440 2,900 17,100 | 28 27 45 100 | 785 1,800 4,315 6,900 | 88 51 66 205 | 7,545 9,240 7,215 24,000 |
明治29年『函館船渠設置之沿革』より作成