表9-22 株式所有状況
明治36年12月31日 | 明治37年6月30日 | 明治38年12月31日 | ||||
株主数 | 株式数 | 株主数 | 株式数 | 株主数 | 株式数 | |
函館 東京 大阪 本州各地 北海道各地 合計 | 171 61 21 49 31 333 | 8,380 7,747 3,160 2,740 1,973 24,000 | 169 64 21 48 30 332 | 8,955 7,692 3,100 2,540 1,713 24,000 | 156 82 22 54 27 341 | 7,545 8,732 3,240 2,965 1,518 24,000 |
各年『事業報告書』より作成
表9-23 大株主名(300株以上)
株数 | 住所 | 氏名 |
800 540 500 500 500 500 450 400 400 355 350 300 300 300 300 300 300 | 函館 東京 同 同 同 同 函館 東京 同 函館 東京 同 大阪 同 同 四日市 函館 | 永野弥平 岡本忠蔵 岩出惣兵衛 大倉喜八郎 渡辺治右衛門 安田善次郎 渡辺熊四郎 園田実徳 嶋津忠済 百十三銀行 岩崎久弥 渋沢栄一 外山脩 藤田伝三郎 芝川又右衛門 九鬼マサ 今井市右衛門 |
明治36年末ならびに38年末の『事業報告書』より作成
そのころ函館は漁業のさく源地として、ことに水産業にかけてはなかなかの敏腕家もおりましたし、魚をとることもその加工もよそよりは卓越したものがありました。それだけに土地の人々も深い関心をもって漁業への投資を惜しまなかったのですが、どうしたものか固定産業に対しては案外冷淡でした。固定産業の場合ですと何年か先にならないと赤字なのか黒字なのかわからないのが、漁業ですとその年その年に精算がつく。それに網さえ入れれば大てい間違いなくとれた時代なので無難に投資できたのでしょう。こんな具合でしたからセメント会社にしても電燈会社にしても、肥料会社にしても、すべて本州人の着目と資力にまたねばなりませんでした |
岡本は船渠会社が渡辺や平田等によって創業された故か、船渠会社を例に挙げてはいないが、固定産業ということではセメント会社、電燈会社と同様に考えてよいだろう。資本の回転が早くて、確実に収益が見込まれ、相対的に小資本の投資で経営ができる漁業に資本が集まり、函館の景気は浜からといわれる時期がおこり、続くのである。まして当時、新開地函館の財力は、このような産業に多くの資金を固定させる余裕はなかったのである。