醤油は移入ものが数千石で推移するが、20年でみると約5割が越後醤油、2割強が東京醤油(亀甲萬、上ヤマサ)、3割弱がその他よりの移入であった。区内では印佐野が主力であるが、特に33年頃からは10軒余の業者で4000石をこえる石数が醸造される勢となり、移入醤油のうちでも、「越後醤油の如きは非常の減少を見るに至り……」(34年10月21日「函館新聞」)とみえている。商業会議所の物価調査には33年以降、佐野の醤油3銘柄(印、サ印、長印)が立物として、亀甲萬、上ヤマサ、越後醤油と並んで掲載されている。価格も前記の3銘柄で移入ものにそれぞれ対抗している。しかし、佐野工場は38年の亀田村火災で焼失した。そのため38年には、東川町の笠川治助の850石、旭町の今井辰太郎の800石があるが、亀田を含む8軒の合計で2580石と前年の5割に減少した。区内の各工場別の状況は表9-26で示した。佐野は火災で廃業するが、その後は丸善菅谷商店が継承して営業した。 |
佐野味噌製造所
同豊川町支所 『実利実益 北海道案内』より
表9-26 醤油・味噌工場の状況(明治38年における製造量・製造額)
名称 | 茅原醤油 ・味噌醸造場 | 今井醤油醸造場 | 細谷醤油醸造場 | 笠川醤油醸造場 | 宮崎味噌醸造場 | |||||
所在地 | 西川町 | 旭町 | 相生町 | 東川町 | 旭町 | |||||
創立年月 | 明治17年3月 | 明治31年10月 | 明治34年1月 | 明治35年10月 | 明治27年4月 | |||||
事項 | 醤油味噌 | 職工 | 醤油 | 職工 | 醤油 | 職工 | 醤油 | 職工 | 味噌 | 職工 |
醤油製造量石 同 製造額円 味噌製造量貫 同 製造額円 総生産額 円 | 200 6,381 4,410 | 1 | 800 14,000 | 1 | 3 48 | 1 | 850 11,000 22,132 | 1 | 109,680 | 1 |
名 称 | 国兼味噌醸造場 | 三星味噌醸造場 | 安井味噌醸造場 | 丸山味噌醸造場 | ||||
所在地 | 旭町 | 小舟町 | 鶴岡町 | 栄町 | ||||
創立年月 | 明治27年4月 | 明治34年11月 | 明治35年12月 | 明治36年9月 | ||||
事項 | 味噌 | 職工 | 味噌 | 職工 | 味噌 | 職工 | 味噌 | 職工 |
醤油製造量石 同 製造額円 味噌製造量貫 同 製造額円 総生産額 円 | 45,000 9,000 | 1 | 4,500 1,200 | 1 | 15,000 2,500 | 1 | 115,200 23,040 | 1 |
『北海道庁勧業年報』より作成 職工はすべて男