製革

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 小川長之助は高砂町の工場で職工数人を使用して、牛皮および馬皮の渋製を主、副には毛皮鞣製を行ない、鞄、馬具等も製造し、末広町で販売していた。
 29年に、末広町の松下熊槌は帝国水産株式会社を辞して毛皮業を営んだが、製品はロンドンの市場に直輸して販売することを試み、結果良好で毎年輸出販売した。また松下は毛皮製革方法の改良に努め、特に染色方法では熟練した清国人を雇って研究を重ねた結果、華麗精巧な良品を得るに至った。その他、オットセイ皮の荒毛抜取法の発明などもあり、高砂町の工場では職工2名を使用し、9月から2月までの獣類猟獲期6か月間の操業であった。毛皮の原料は北海道はもちろん、露領産も輸入して加工し、防寒装飾等の用に供する上品の毛皮類を製革染色して末広町の店舗で販売した。ロンドン市場へは優良品を未製のまま、委託販売した。小川、松下のほか、33年には吉村文右衛門、35年には荒井平吉、38年には寺尾某が開業しており、北海道の製革業はこれら函館の製革所が掌握していた。その状況は表9-37の通りである。なお、松下熊槌は、36年7月より函館船渠株式会社の監査役に就任している。
 
 表9-37 その他の製造業の状況
種別
製革
硝子
製紙
石蝋
年次\事項
工場数
職工及
徒弟数
製造額
工場数
職工及
徒弟数
製造額
工場数
職工及
徒弟数
製造額
工場数
職工及
徒弟数
製造額
明治32
   33
   34
   35
   36
   37
   38
 
1
1
2
3
3
3
 
4
3
6
9
9
11
2,620
1,600
2,087
25,794
20,926
12,003
4,811
 
 
 
1
1
3
5
 
 
 
7
1
3
24
 
 
 
3,800
2,953
5,940
6,645
1
1
2
2
2
2
1
 
12
14
14
14
14
11
9,400
10,980
16,880
8,559
6,735
8,377
6,692
 
 
 
3
1
10
12
 
 
 
3
1
16
15
 
 
 
50
37
14,747
9,827

種別
燐寸
石鹸
製氷
年次\事項
工場数
職工及
徒弟数
製造額
工場数
職工及
徒弟数
製造額
工場数
職工及
徒弟数
製造額
明治32
   33
   34
   35
   36
   37
   38
 
 
 
 
 
 
1
 
 
 
 
 
 
44
 
 
 
 
 
 
10,125
 
 
 
 
 
 
2
 
 
 
 
 
 
6
 
 
 
 
 
 
14,625
 
 
 
 
 
 
23
 
 
 
 
 
 
 
21,685

 『北海道庁勧業年報』より作成.