第1期は無税時代である。ロシアの地方官は時々更迭があり、この時期の樺太は地方分遣隊の長官が行政官を兼務しており、交換条約の内容に明るくなかったために無税としたものらしい。というのは交換条約付録第2条に記載されているが、日本漁民はロシア側へ「現今所持ノ不動産ヨリ収入スル物件オヨビ所有ノ権利ヲ証明セル証書ヲ渡シ置ク」こともせず、また交換に際して口頭で漁業を断念する旨を通知してあったから、付録第1条の「現在所有地界限中ニテ漁猟ヲ為スノ権ヲ有シ且ツ其ノ生涯中自己ノ職業上ニ関スル諸税ヲ免ズベシ」とある無税の権利を失っていたのである。それにもかかわらずロシア地方官は、条約第6款第1項にある「日本船ノコルサコフ港ニ来ル者ノ為メ……十ヵ年間港税モ海関税モ免ズルコト」が日本漁民にも適用されるものと解していたのであろう。ともあれ、この無税という有利な条件の下で樺太漁業の原初的蓄積が雑領地時代に引続き進行するのである。