その年12月師範学校卒業の城谷成器を迎え小学校開校へ着手した(第1節2参照)函館支庁は、富岡学校に小学科を開設することになり、翌8年1月、富岡学校の予科を残し変則中学科の英語・数学の2科を校舎の広い松蔭学校へ移した(明治7・8年「函館支庁日誌」道文蔵、「開公」5821)。しかしその後、会所町の官舎を利用して小学校(会所学校)を開校することとなり、富岡学校予科生もその小学校へ移され、8年3月20日、富岡学校は廃校となった(明治8年「函館支庁日誌」道文蔵)。廃校時の教員とその異動は表10-3のとおりである。
表10-3 富岡学校廃校時の教員の動き
氏 名 | 異 動 先 | |
12等出仕 15等出仕 等外1等出仕 等外2等出仕 等外3等出仕 権少主典 13等出仕 等外3等出仕 | 城谷成器 中里方精 坂本重勝 吉田元利 高橋済一 菊地卓平 鈴木重直 和田音次郎 | 会所学校 会所学校 会所学校 会所学校 会所学校 松蔭学校(英) 松蔭学校(数) 松蔭学校(数) |
明治8年「函館支庁日誌」より作成