明治11年開校の宝学校 北大図書館北方資料室蔵
まず16年3月、小学校の教育課程の基準である「小学校教則綱領」に基づいた「函館県小学校校則」と「函館県小学校教則」が布達された。小学教則によると小学科の教育課程は初等(3年)・中等(3年)・高等(2年)各科の3段階で、初等および中等科は各6級、高等科は4級に分かれ、各級6か月の修業とし、授業時間を1日5時間、授業日を1か年44週とした。また同月学校設置の区域と校数を指定する「学区規則」が布達され、函館は区内44町で1学区(函館学区)となり、初・中・高等全科併設校は3校、初・中等科併設校は7校と指定された。続いて5月には既存の公立小学校の等科を規定し、宝・弥生・函館女子(函館公立女学校を改称)の各小学校は初・中・高等全科併設校、住吉・東川の各小学校は初・中等科併設校となった(明治16年「函館区役所伺届録」道文蔵)、さらに従来単に″○○学校″としていた学校名も″○○小学校″と統一した(同前)。本文でも以後は○○小学校と記述する。