住吉小学校の子どもたち
住吉小学校は、佐藤作太郎・丸山文右衛門・和田幸太郎・長谷紋三郎ら住吉町有志の尽力により(「学校沿革誌」函館市立住吉小学校蔵)、11年2月住吉町の民家を借りて開校したのに始まる(明治17年「区会関係書類」)。当初2教室だったが翌年1教室増築、その後校舎が狭く多数の児童を募集できないことや借家の期限が満期に近いことから新築・移転の話が起こり、幸小学校新築費の残額や旧校舎払い下げ代金それに住吉町住民一同の寄付金などを元に、16年11月青柳町49へ新築着工、翌月26日完成、翌17年1月11日に移転式を挙げた。新築された校舎は、木造平家で131坪余、6教室と教員詰め所などを備えていた(「函館県函館区小学校沿革史」)。
東川小学校は、沖田藤助(東川町組頭)・三上八十八・荒井八郎右衛門・村井権四郎らが資金を出し合って東川町166の民家を仮学校(2教室)にあて、15年3月1日私立小学校として開校したのに始まる。この時提出された「私学開業願」によると収容児童数は50名、普通小学科を教え、授業料は月額20銭で、公立学校と同様の運営となっていた(明治15年「学校設立伺留」道文蔵)。その後入学希望者も増えて学校新築の気運が起こり、金子利吉をはじめ沖田・三上・荒井ら8名が発起人となって資金を集め(明治15年5月26日付「函新」)、同町224、5の地に校舎を新築、15年7月9日開校した(「函館県函館区小学校沿革史」)。
その後発起人から公立小学校にして欲しい旨申し出があり、通学に不便な東部地区児童の就学の便を考えた区は、区会の承認を得、15年12月1日より公立東川小学校とした(明治14、5年「区会議事録」)。