函館の初期の女教育

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 函館では、開拓使時代の12年11月、14歳以上の学齢外の女子を対象に「女子ニ必需ナル学科ノ一班」を教授するため、第一公立女学校(小学校)内に女子手芸科が開設されが、翌月の大火に焼失、そのまま廃止となったためその成果を上げることはできなかった。手芸科の設置要旨には女子が妻として母として完成することは「一身一家ノ幸福ナミナラス将来一国ノ文明ヲ裨益」(「女子手芸科設置ノ要旨」『布類』)するとあり、職業に就くためあるいは高等の学校に入るための男子中等教育に対し、女子特有の教育が意識されていた。
 その後学齢女子を対象とした公立の学校として、函館県時代の18年3月、師範学校内に県立函館女学校が開設した。これは15年に開設された東京女子師範学校付属高等女学校をモデルとしたもので、高等女学科(40名)と女子師範科(30名)が置かれ、高等女学科は下等科3年・上等科2年の5年制となっていた。しかしこの函館女学校も、その年の12月に師範学校へ合併された。翌19年9月、函館師範学校は廃止となって北海道師範学校に統合(第4節3参照)されたが、女子の部は函館分校として残った。