同会ハ函館をはじめ札幌、根室等の教育有志者が発起となり企てし所なるが、追々入会を望まるヽものも多数となり、且つ規則も整理せしに、一昨日当師範学校にてまづ内会を開き役員を選挙せしに、投票多数により会長に村尾元長、副会長ハ村岡素一郎、幹事に前田憲、原直次郎、書記に吉田元利、岡野敬胤の諸氏を撰定され、本月中に一会を開くことに決定したり。今其規則を得たれば茲に記載し、広く各地教育有志の方々の賛成あらんことを。記者も発起の一人たるを以て希望す(中略)、同会ニ係る事ハ、当方のうち敝社にて取扱ひますから、各地方の方々にて同会に御用等もあらば北溟社宛にて御照会これありたし。 |
この記事によれば、「一昨日」、即ち明治14年12月4日に、函館師範学校において教育協会設立のための「内会」を開き、投票によって6名の協会役員を選挙したというのである。
また、この「函館新聞」の記事から9日後の12月15日に発行された『北海道学事新報』第6号にも、「函館教育協会ハ本港并に札幌、根室の有志諸氏が発起に係り、広く同志と協合し公益を謀る見込にて、此程已に規則も制定せしかば、已に内会を開き役員を撰挙し」とほぼ同趣旨の記事が載っている。
この2つの記事の伝える所によれば、函館教育協会の設立に結びつく役員選挙は、14年の12月4日頃に実施されたかの如くであり、11月3日の協会設立の認可時までにすべて完了していたとする『函館教育協会沿革史』の記述とは、対立した見解を示している。事実、函館教育協会の「代用機関雑誌」とされていた『北海道学事新報』の第2号(10月5日発行)から第5号(11月21日発行)までの間に、協会設立に関する記事が一切掲載されていないのは、やはり不自然と言わざるを得ないのである。さらに、『函館教育協会雑誌』第1号(明治15年10月7日発行)には、「本会ノ設立ハ昨十四年十月ニ在リ。光陰矢ヨリモ疾ク既ニ一周歳ヲ経過セリ」(同誌「緒言」)との記述もある。以上みてきたように、函館教育協会の設立をめぐっては、設立認可のなされた明治14年11月3日について、また会運営の基本である役員選挙の期日等について若干の疑問が残ることを指摘しておこう。