さて函館教育協会の会員数であるが、設立時は「三十余名」、その直後の明治14年12月段階では、「五十余名の会員」(『北海道学事新報』第6号)と言われるが、明確な数字は分からない。いま、教育協会の第2期(15年6月~12月)における会員の入退状況を示せば表10-22のようになる。常会員でみると、6月に9名退会したかと思えば、11月には20名が一挙に入会するなど、組織的にみればかなり流動的状況にあることを示している。そして、常会員で20名、各地会員で14名の増加に対し、同じ各地会員中の2分会の休・退会が相次いだため、最終的には15名の会員純増にとどまっている。なお、同じ第2期の報告でも、『函館教育協会雑誌』第6号には、若干異なった会員数が記載されているが、全体的傾向に変わりはない。かくして明治15年12月末現在では、会員数149名(常会員-84名、各地会員-65名)であり、この他に「入退不明」者4名がいたという(同上書、第6号)。各地会員には「三分会共」と記されているので、この時点では、亀田、磯谷、戸井の3分会を示すものと思われる(なお、歌棄分会のその後は、はっきりしない)。次に、各地会員の分布状況をみてみよう。再び表10-22にもどれば、前記の3分会に加えて、上磯、木古内、江良、島牧、奥尻、小樽といった地名が散見される。このような点からみて、函館区を中心とする常会員以外の各地会員は、ほぼ道南地方の西海岸と札幌、小樽、
根室、それに道外の東京などに分布していたものと思われる(同上書、第7号)。
表10-22 第2期(明治15年6~12月)の会員入退状況
月 | 常 会 員 | 各 地 会 員 | 分 会 会 員 |
入 会 | 退会 | 計 | 入 会 | 退会 | 計 | 亀田 | 磯 谷 | 戸 井 | 計 |
6 7 8 9 10 11 12 | 0 3(1) 0 3 2(1) 21(1) 1 | 9 0 0 0 0 0 1 | -9 -6 -6 -3 -1 20 20 | 1(1) 0 0 6(小樽 5、(1)) 1(島牧) 3(奥尻、江良、(1)) 3(上磯2、木古内1) | 0 0 0 0 0 0 0 | 1 1 1 7 8 11 14 | 9 0 0 0 3 0 3 | 0 0 0 0 0 -17(休) 0 | 0 0 0 0 0 -17(退) 0 | 9 9 9 9 12 -22 -19 |
計 | 30(3) | 10 | 20 | 14(3) | 0 | 14 | 15 | -17 | -17 | -19 |
『函館教育協会雑誌』第7号(明治16年3月)より作成
( )内数字は、それぞれ常会員、各地会員からの転入を示す
磯谷分会の(休)は休会、戸井分会の(退)は退会を表す