開拓使時代

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 6年4月までに暫定的な三業の規則を定めて新しい公娼制度を確立した函館支庁は、翌7年8月新たに「貸座敷渡世規則」「娼妓規則」「芸妓規則」を制定、さらに9年8月6日には、従来折り込まれていなかった三業への課税額や等級などを明記した「函館貸座敷芸妓娼妓営業規則」を布達した(明治9年「取裁録」・明治9年「函館支庁日誌」道文蔵)。この規則は「三業規則」とも呼ばれ、6章52条から成っており途中一部改正が加えられたが、開拓使時代の函館区三業取り締まりの指針となった。
 同規則によると、貸座敷の営業は蓬莱町・台町の2か所に限定され、両町には取締人が置かれ戸長がその総括をした。営業希望者は取締人の連署と戸長の奥印を添えて出願、免許鑑札を受けて営業をし、町会所・取締人の元へは三業の名簿が備えられた。取締人給料・黴(ばい)毒検査治療費など三業に関する費用は、三業の鑑札料と等級別に収める税金(賦金)で賄われ、残金は女紅場開設の基本金として町会所に蓄積された。芸娼妓は読書・裁縫などの業を努め、正業に転じるように心掛け、貸座敷営業者はこれを奨励し妨げてはいけなかった。これらの違反者には、罰金または病院・女紅場・育児会社での使役が課せられた。この規則は翌9月1日からまず函館区内に限り施行された。