函館県時代

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 15年、函館区役所から三業規則改正伺いが、税制の関係と取り締まりの関係から相前後して提出された(明治15年「賦金関係書類」道文蔵)。まず税制の関係では、12年度からの税制の改正により、同規則の収税に関する各条は実施不適当であるという理由で(詳細は賦課の項参照)、取り締まりの関係では、規則の条文を悪用した鞍替えなどの問題が続出、事務的な権限しかない取締人(取締人の権限については後述)ではどうにもならず、「悪弊ヲ矯正シ未発ノ弊ヲ予防」するためにも所管を警察にして欲しいというのであった。
 函館県は、警視庁が取り調べ中の東京府下の規則改正を参考にしながら、従前の規則を廃止し、新たに二業(貸座敷と娼妓)と芸妓にわけ、賦金を独立させ、取締業務を警察署が担当する「貸座敷営業取締規則・娼妓取締規則・娼妓検黴(ばい)規則・貸座敷娼妓賦金規則」と「芸妓取締規則」を翌16年7月19日、県管内へ布達した(明治16年『函館県布達達全書』)。新たに制定された規則によると、貸座敷営業指定地域は従来の蓬莱町・台町のほかに天神町と駒止町が追加され、鑑札は許可を受けた場所に限り有効とし、警察官の臨時点検や検閲が増加された。娼妓営業願いに関しては従来は本人の意志の確認だけだったが、「娼妓取締規則」では満15歳以上(年齢制限は15年2月から規定)で父母の同意とほかに仕事の無い者に限り許され、貸座敷内に住居しほかの貸座敷へ移転営業するときは鑑札の書き換えを必要とするなど、娼妓への管理が厳しくなった。