性病対策と検黴

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 売女渡世を公認していた政府も性病への予防行政については別に対策を立てていなかった。しかし売女渡世の者が増加しその社会的弊害が少なくないことを認識した民部省は、4年、全国の地方庁へ「爾来遊女売婦の類新店開業の儀は固く相成らず、従来開店の向きも人員増殖を禁止すべき旨公然布告には及ばず候へ共、各地方官において屹度除毒の施設相立て申すべきこと」(渡辺英三郎『日本売春史』)と売女渡世の新規開業禁止と、除毒の方法を講ずることを通達した。この通達により各地には検黴(ばい)所や駆毒院などの施設が開設され、遊郭の娼妓を対象に黴毒や痳病などの性病の検診が行われるようになった。
 函館支庁は5年蓬莱町とその付近の2か所に黴毒検査所を新設(『開事』)、函館病院の医師を派遣して7月から検査を開始した。翌8月には病院から「日々入院黴婦十名ニ下ラス」と、患者が多く病院の入院施設に支障が生じている現状が訴えられ、独立した「黴毒院」の新設要望が出されたが、経費の関係から8年に病院敷地内に「黴毒室」が建てられたに過ぎなかった(「開公」5730、『開事』)。一方娼妓に対しては6年の「娼妓規則」の中で「検査定日ニハ不参無之様可致、若不参候節ハ其旨検査掛ヨリ申出次第一通糺ノ上、罰金一度金一円五十銭、三度不参ノ者渡世差止候事」と検黴が義務付けられ、違反者には厳しい罰則がかせられた。こうして検査が続けられていったのだが、5年8月から7年12月までに函館病院で治療をうけた函館区内の娼妓の数は表13-2のとおりである。
 
 表13-2 函館区内娼妓黴毒患者函館病院治療表 単位:人
 
入院
退院
滞院
 
入院
退院
滞院
 
入院
退院
滞院
5
 
 
 
 
 
 
6
 
 
1
20
28
25
7
 
 
1
17
25
21
 
 
 
 
2
9
23
11
2
15
13
23
 
 
 
 
3
22
15
18
3
19
24
18
 
 
 
 
4
14
11
21
4
12
16
14
 
 
 
 
5
14
15
20
5
10
12
12
 
 
 
 
6
19
12
27
6
11
9
14
 
 
 
 
7
14
19
22
7
18
16
16
8
106
49
57
8
14
11
25
8
11
14
13
9
27
52
32
9
22
21
26
9
22
13
22
10
36
31
37
10
25
19
32
10
22
28
16
11
 
}22
 
26
 
33
11
22
26
28
11
17
17
16
12
12
25
24
29
12
14
20
10
191
158
301
224
188
207

 明治8年「開拓使公文録」5614より作成
 
 なお9年の規則改正では梅毒検査について、検査所は蓬莱町・台町各1か所とし、娼妓は毎土曜日現住する地の検査所へ行くこと、治療入院の薬代は賦金で負担し賄い料は自費負担とすること、娼妓は営業鑑札を受ける時も検査を受け病院の保証書をもらうこと、などが規定された。その後函館県・北海道庁時代にもそれぞれ検黴・駆毒規則が規定されたが大要には変化はなかった。