育児会社の実務は区役所が担当したが、経費は以前同様、開拓使からの年額1200円の補助金と貸付金利子、貸家・貸地料および寄付金からなっていた。ところがこの補助金も函館県時代に入ると年額960円に、北海道庁時代には22年度に720円へ、翌23年度には620円へと減額され、23年度を最後に打ち切られてしまった。育児会社の発起人は26年財産を函館区に引き継ぎ区の事業として継続することを希望(河野文庫・明治29年「引継書類」北大蔵)、函館区は入社中の25名前後の子どもたちの養育のこともあり、区会の決議を得て、育児救済事業として引き継ぐことになった。(明治25から29年「区会書類」)。こうして育児会社は解散した。表13-6は育児会社が扱った育児数を表したものである。不景気という当時の経済状況を反映し10年代後半から20年代にかけての入社数の増加がめにつく。
なお育児救済事業として育児会社を引き継いだ函館区は、26年「育児規則」を規定し、従来同様里子に出して養育する方法をとった。乳幼児たちが施設に収容されて養育されるのは、33年に仲山与七・上田大法・寺井四郎兵衛の3名の発起による函館慈恵院が創設されてからのことだった。
表13-6 育児会社養育人数
事項 \ 年 | 年末現在数 | 前年越 人 数 | 新たな 養育数 | 死 亡 人 員 | |||||
計 | 男 | 女 | 男 | 女 | 男 | 女 | 男 | 女 | |
明治 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 | 1 8 10 10 7 8 9 9 11 16 21 21 25 39 36 44 36 27 25 28 18 10 | 0 5 7 9 7 7 8 7 8 13 14 11 12 18 16 24 17 12 11 13 12 8 | 1 3 3 1 0 1 1 2 3 3 7 10 13 21 20 20 19 15 14 15 6 2 | 0 0 5 7 9 7 7 8 7 8 13 14 11 12 18 16 24 17 12 11 13 12 | 0 1 3 3 1 0 1 1 2 3 3 7 10 13 21 20 20 19 15 14 15 6 | 0 6 4 2 0 0 2 1 4 7 4 0 3 9 6 13 3 0 2 4 2 1 | 0 2 2 0 0 2 1 1 1 0 4 5 5 9 5 7 4 0 1 1 1 1 | 0 1 1 0 0 0 0 2 3 2 1 2 0 3 3 4 3 4 1 1 1 1 | 0 0 0 1 1 1 1 0 0 0 0 2 0 0 4 6 0 0 0 0 1 0 |
『北海道庁第6回統計書』より作成