函館新聞の購読者

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 「無益ノ論説投書等ハ可成省略シ、逐号地方ノ実況ヲ載セ便益ヲ謀ル目的ナル」(明治11年「函館文移録」道文蔵)という主旨で官の保護のもとに発刊した函館新聞は、鋳之助が社主になりさらにその主旨を貫徹、札幌で「北海新聞」(のち「北海道毎日新聞」)が創刊される20年代初めまで、函館はもちろん道内で唯一の新聞として1紙独占の状態にあった。この函館新聞の購読者というのはどのような人々だったのだろう。売り捌き数などから推測するしかないが、少々ながめてみることにしよう。
 創刊から19年までの函館新聞の発刊部数や発刊総額・発刊回数などを一覧にしたのが表13-12である。15年以降は不景気を反映し発刊部数は低減傾向にはあるが、さほど減らすことなく営業を続けていたことがわかる。これは購読者層が安定した階層の人たちであったことを物語っていると思われる。18年末の江差警察署の調査によると戸数2479戸の江差における函館新聞の購読者数は25軒となっている(『江差町史』通説2)。翌19年の渡島国における1回の発刊部数は表13-12より約858部、つまり858軒ほどの購読者があったとみることができる。渡島国で主要な町といえば函館のほか江差、松前が考えられる。松前も江差と同程度の購読数とみなし、ほかに管内の郡役所などで購読していたとして60軒前後、つまり19年頃の函館区中の購読者は800軒近くとみることができるだろう。19年の函館の戸数は約1万前後、その中の約800軒となると普及率は約8パーセントとなり、江差で1パーセント、同時期の全国的な普及率が3パーセント(鵜飼新一著『朝野新聞の研究』第36表)で、これらと比較すると高い普及率を示していたといえる。ちなみに同時期の東京の普及率は32パーセント、大阪は13パーセントとなっている(同前)。
 購読者の職業構成としては、仮名を付け広い階層を対象にした小新聞だったとはいえ市中の8パーセント程度の範囲となると、やはり極限られた有力商人・官吏らが定期購読者だったということになるのではないだろうか。
 
 表13-12 函館新聞発刊部数・売り捌き額・発刊回数ほか
 
明治11年
明治11-12年
明治13年
明治14年
明治15年
明治16年
明治17年
明治18年
明治19年
1/7-6/30
7/1-6/30
1/1-12/31
1/1-12/31
1/1-12/31
1/1-12/31
1/1-12/31
1/1-12/31
1/1-12/31
発 刊 部 数
54,939
291,662
330,915
390,501
363,273
359,748
338,173
376,770
376,364



道  外
9,773
34,055
33,449
44,766
41,323
41,016
16,907
(外国人および国外)
(京浜在留 36)(京浜在留 179)    (アメリカ 14)(アメリカ 105)      
道  内
45,166
257,607
297,466
345,735
321,936
318,732
359,457
(渡島国)
(33,915)
61.52
(220,460)
75.59
(224,111)
67.72
(246,431)
63.12
*(229,233)
63.10
(223,046)
62.02
 
 
(258,372)
68.65
売り捌き総額
659円268
3,499円944
3,970円980
4,884円228
5,449円095
5,396円220
5,072円595
5,565円550
5,645円460
一 部 の 定 価
1銭2厘
1銭2厘
1銭2厘
1銭2厘→1銭5厘
1銭5厘
1銭5厘
1銭5厘
1銭5厘
1銭5厘
発 刊 回 数
(年内発刊数)
2、7の日
36回
隔 日
177回
6月~隔日
140回
隔 日
178回
隔 日
178回
隔 日
178回
隔 日
179回
隔日→日刊
272回
日 刊
301回
1回の発刊部数
(渡島国)
約1,526
(942)
約1,648
(1,246)
約2,364
(1,600)
約2,224
(1,384)
約2,041
(1,288)
約2,021
(1,253)
約1,889
約1,385
約1,250
(858)
そ の 他
    1月から月6回発刊
3月から月10回発刊
11月から料金改正
月極め17銭→21銭
      4/1~日刊
月極め21銭→33銭
 

 「諸願届書」「函館新聞売捌調」「函館県統計概表」『北海道庁統計書』『北海道民権史料集』より作成
 無料配付の発行部数は含まれていない。ちなみに19年で11,507部
 …は不明で( )内は内数を表わす