編集人・紙面改良

1440 ~ 1441 / 1505ページ
 この時期の函館新聞の編集人の変遷は表13-13のとおりである。佐久間健寿のあと野村庸直(石川県士族)が編集長となり、23年2月に北溟社を離れるまでの約12年間その任に就いた。その間野村と交代で編集の責任者となるのが岡野敬胤である。岡野は岡野知十ともいい北海道様似の生まれ、12年創刊の「与し余誌」の編集人で、のち東京の小新聞界で活躍、14年函館師範学校付属小学校の予備教員として来函、まもなく病気のため退任して函館新聞の記者となり、野村と交代で編集長を勤めた。22年7月仕事を降り上京後、「東京毎日新聞」「報知新聞」などの記者として活躍した人物である(宮武外骨・西田長寿『明治新聞雑誌関係者略伝』、以下『関係者略伝』とする)。
 
 表13-13 函館新聞編集人および編集長
担 当 期 間
肩書き
氏 名
11.1.7~11.8.4
11.8.6~11.8.18
11.8.20~12.10.18
12.10.20~12.11.16
12.11.18~(13.2.2)
編集人
仮編集長
編集長
仮編集長
編集長
佐久間健寿
野村庸直
野村庸直
宮村直義
野村庸直
?(13.2.2~13.3.17函館新聞欠のため不明)
(13.3.1)~13.6.15
13.6.17~13.6.29
13.7.1~13.8.20
13.8.22~14.2.28
14.3.2~14.8.26
14.8.28~14.9.7
14.9.9~15.1.22
15.1.24~15.2.28
 
15.3.2~15.7.11
 
15.7.13~15.8.16
 
15.8.18~16.5.26
 
16.5.28~16.10.30
16.11.1~17.4.30
17.5.2~17.10.30
17.11.1~18.5.1
18.5.2~18.12.29
19.1.5~19.6.30
19.7.1~22.6.25
22.6.26~23.2.6
23.2.7~24.6.14
24.6.16~24.8.2
24.8.4
24.8.5~24.10.4
24.10.6~(24.12.30)
編集人
仮編集人
編集長
仮編集長
編集長
編集長代理
編集長
仮編集長
(補助)
仮編集長
(補助)
仮編集長
(補助)
仮編集長
(補助)
編集人
編集人
編集人
編集人
編集人
編集人
編集人
編集人
編集人
編集人
仮編集人
編集人
編集人
本間定吉
野村庸直
本間定吉
野村庸直
野村庸直
岡野敬胤
野村庸直
津田祐二郎
野村庸直
加藤松兵衛
野村庸直
伊藤鐘吉
野村庸直
松浦哲人
野村庸直
松浦哲人
岡野敬胤
野村庸直
岡野敬胤
野村庸直
岡野敬胤
野村庸直
工藤力松
吉田宇之助
渡辺茂樹
吉田宇之助
吉田宇之助
金田義信

 新聞末の発行所欄より作成
 
 さて18年からの日刊紙への切り替え時に東京電報を載せて中央との連結を幾分密にするなどの改正をしたが、紙面構成や編集方針などに改正はなく従来のパターンを踏襲、1紙独占の地位に甘んじていた函館新聞だったが、22年5月新聞改良広告の一大キャンペーンをはった。改良内容は次のようになっていた。
 
(1)改良時期 明治22年6月1日(2449号)より。
(2)紙面の拡大 紙幅を拡大(今の日刊紙の大きさ)、1ページ4段を5段とし、1段あたりの行数を32行から45行へ、1行の字数も増やす。
(3)記事の内容 時事問題に対し「更ニ精細ニ公明ニ論評」する。
(4)記者の増員 論説部に真島武市、雑報部に出戸栄松を加え、ほかに新たに東京通信員を置き東京からの電報や通信を掲載する。
(5)定価 1部1銭5厘を1銭2厘へ、月極め33銭を28銭へ値下げ。

 
 また題字も横組となり1面の上段には函館港の挿し絵をバックにした″函館新聞″の字が並んだ。函館新聞にこのような大新聞への改良を迫らせた原因となったのが、次に触れる第2の地元紙「北海」の発刊であった。