このほかも区内にはいくつかの新聞縦覧所が開設されたようである。当時の新聞の広告から拾ってみると、17年7月の新聞には富岡町5番地の益友協会新聞雑誌縦覧所が広告を出している(7月5日付「函新」)。この縦覧所も見料は無料で、置かれている新聞は郵便報知新聞、朝野新聞、東京日日新聞、函館新聞、絵入朝野新聞、自由新聞、伊呂波新聞など10紙、雑誌では団団珍聞など3種の名が挙がっている。
また20年代になると「広ク公衆ノ縦覧ヲ許サハ其効タルヤ大ナルヘシ」として「新聞縦覧所ノ設置ヲ望ム」と題した投書が掲載され(21年11月25日付「函新」)、それに関連した投書も掲載されるなど、新たに新聞縦覧所開設が騒がれていたことがわかる。またこれらの投書から、同じ頃「函館青年交誼会」による縦覧所開設の動きもあったようである。さらに23年11月27日の函館新聞には「生まれたり生まれたり新聞紙雑誌小説縦覧所」という広告があり、会所町4番地に新たに新聞縦覧所が開設されている。この広告によると、初めての国会開設により新聞雑誌縦覧所の開設が「日に倍々」必要となり開設したとあり、見料は有料で1日3銭、ただし婦人は無料となっている。閲覧できる新聞名は載っていないが、九州の新聞も取り寄せるとなっている。
その後これらの新聞縦覧所がどうなったかは定かではないが、1紙でさえも購読するのが大変な時代に、多紙を読むためには、やはりこの時代、新聞縦覧所は必要な施設だったのである。