このように、ロシア艦隊の2度に及ぶ津軽海峡方面への攻撃は、北海道が本州等とは分断された島部であることを、あらためて確認させることとなった。日露戦争も終結に近づいた翌38年の夏、函館商業会議所が実施した「時局の函館産業界に及ぼせる影響」調査(『函館商業会議所月報』第30号)によれば、「交通」の項において次のように記されている。
御用船の徴発は、其後間もなく外国船其他を以て補給されたるが故に船舶の欠乏甚しく感せさりしも、折々敵艦の来襲出没は或は東西航路の停止となり、又は航路の変調を余儀なくせられ、就中甚しき打撃を蒙りしは、日々内地と本道との連絡上欠く可からさる函青間航路に変態を来せしことにして、次て函室間航路の停止其他一般に警戒恐怖の念は、延て商業界並に交通上に及せし影響は蓋し少々にあらさるべし。 |