富岡町遺跡

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 亀田の遺跡は道南地方の代表的遺跡となっている。サイベ沢遺跡西桔梗遺跡、煉瓦台遺跡がそれであるが、これらは北海道と東北地方の文化の関連を考える上で重要な役割を果している。亀田には旧石器時代の遺跡はないが、縄文時代のものがその大半を占めており、その中に、縄文時代の初めで、狩猟具としての弓矢や槍が使用され始めたころの遺跡がある。
 縄文時代は今から八千年前から二千年くらい前までの約六千年間続いた時代である。これを早期、前期、中期、後期、晩期の五期に区分することにされていたが、早期の前に更に草創期を加えることが考えられるようになった。旧石器時代の終りになると、細長くて両面を念入りに加工した石槍が作られるが、これに次いで弦(つる)を張って射る狩猟法の発明により弓矢が発達する。矢は骨と竹でも作られたであろうが、主に石器の鏃(やじり)が使用され、このころになると土器も作られる。弓矢は縄文時代以降武器として使用されるが、近年学界ではこの弓矢と土器の出現の時期を縄文時代の始まり、すなわち草創期と呼ぶようになった。

富岡町遺跡の石器

 富岡町遺跡は亀田地区で最も古い時代の遺跡で、ここからは特殊な細長い石槍と、やや大き目の三角形石鏃(せきぞく)などが出土している。この遺跡は北海道電力株式会社変電所裏にあり、昭和三十年六月、電柱設置工事中に石器が発見されてその存在が知られた。七月に現場を調査したが、三〇センチメートルほどの黒褐色表土層や、その下部の黄褐色粘土層からも、これに類するものは発見できなかった。この細長い石槍と三角形石鏃、打製石斧(せきふ)は電柱を建てるために穴を掘った際、深さ八〇センチメートルから一メートルの所から出土したもので、石器には黄褐色の土が付着していた。細長い石槍は断面が紡錘(ぼうすい)車のような形で偏平であり、長さ二〇センチメートル程のものが二点出土している。三角形石鏃は長さ七センチメートル程で、基部がえぐり込みになっており、これと同種のものが三点出土した。打製石斧は〈へら〉状のもので、一点出土し、石質は硬質頁岩(けつがん)と思われる。石器の表面は石質変化して灰白色化しているが、発見の際に欠けた面から石質変化を認めることができた。
 石器が出土した地点は、新築の家が建ち、残ったわずかな広さの土地で調査するしか方法がなかったが、この石器は北海道や東北でも見られないもので、青森県長者久保遺跡の流れを汲む、古い時代のものでないかと考えられている。この近くで縄文時代の石器類を採集した遺跡もあるが、住宅地のため発掘調査を行うことは難しい。