亀田にあった館について、歴史的信憑(ぴょう)性についてはやや問題があるが、『東北太平記』別名『北部御陣日記』の記事により考察すると、下北半島の豪族蛎崎蔵人信純の命令により文安元(一四四四)年ころに蛎崎三郎右衛門が亀田に城を築いたと記されている。また河野森幸が亀田に館を構築したともいわれる(白山友正『松前藩と亀田郷』北海道地方史研究九十―昭和四十八年)。
このように亀田館の館主として蛎崎系、河野系の二つの系統が示されており、詳細は不明であるが、とにかく彼らによって亀田館が経営されていたことと思われる。