大川村を発し、桔梗野台場を攻撃した官軍の様子は『戦争御届書』(松前藩)に、
十一日御達ニ付、暁一字藤山村ヨリ大川村ニ至リ福山、津軽両隊、長州大砲隊ト合シテ同村ヨリ進軍、凡ソ一里半程ニテ柳岱深林中ニ埋伏ノ賊銃ヲ冒シテ益進ミ、其間二町許リニテ賊ノ砲台ト相対シ候処、有川口ヨリ出兵ノ長州兵隊并ニ弊藩ノ糾武、奇兵ノ両隊合進シ、朝六字頃ヨリ八字頃迄激戦中、長州ノ兵隊奮撃、続テ弊藩糾武、奇兵、三番四番ノ兵卒抜刀ニテ砲台ヘ衝入候節、四番隊銃士厚谷孫六砲台先登、続テ砲台ニテ賊一人打捕、糾武隊銃士高井麒士、岡林繁三、大石金五郎、谷梯卓平各々左手ノ砲台抜刀ニテ先登、大炮三門分取、賊四人切倒シ、賊僻易敗走致シ候得共、左ノ方胸壁ヨリ頻リニ銃撃ニ付、再度激戦及ヒ候節、四番隊福田栄蔵儀一ノ砲台ニテ賊一人打捕、二ノ砲台ニテ同一人切倒シ、暫時休憩、其節軍事方明石廉平、青山荒雄銃卒十四名ヲ引テ亀田村ヘ進撃及ヒ候節、四番隊吉田六郎仝所ニテ賊一人打捕、然ル処又々賊兵繰出候ニ付、長州兵隊并ニ弊藩三、四番隊交進大戦シ、水戸ノ兵隊、弊藩糾武、奇兵ハ浜手、津軽兵隊ハ山ノ手ヘ廻リ、猶弊藩三、四番隊、長州兵隊ト諜シ、急ニ五稜郭近辺ヘ相廻リ、夕七ツ時過マテ炮戦罷在候処、御下知ニ依テ一旦休戦
と記され、桔梗野台場における戦闘状況を説明している。