『戸長職務概目』(明治十三年開拓使)によって戸長の職務内容を略記すると、
一 布告、布達を町村に示すこと
二 地租及諸税を取まとめ上納すること
三 戸籍のこと
四 徴兵下調
五 地所建物船舶質入書入ならびに売買に奥書加印
六 地券台帳
七 迷子、捨子および行旅病人、変死人其他事変あるときは警察に報知すること
八 天災又は非常の難にあい、目下窮迫の者を具状する
九 孝子、節婦その他篤行の者を具状する
十 町村の幼童就学勧誘
十一 町村内の人民印影簿を整理する
十二 諸帳簿保存管守のこと
十三 河港、道路、堤防、橋梁その他保存すべき物につき利害を具状すること。
右の外、本支庁長官又は郡区長より命令する処の事務は規則又は命令によりて従事すべきこと。其他町村限り道路、橋梁、用悪水の修繕、掃除等凡そ協議費を以て支弁する事件は此に掲ぐる所の限にあらず。
以上のように定められており、戸長役場の業務は主として国の行政機関の末端としての色彩が強く出されており、村独自の問題についてはわずかに「其他町村限道路橋梁用悪水の修繕掃除等凡協議費を以て支弁する事件は此に掲ぐる所の限にあらず」と記されているのみであり。村固有の事務よりも国、開拓使などの上部機関からの委任事務が中心であった。
また明治十二年ころの戸長の行政範囲は数か村であったものが、明治十八年の高津勝之助(亀田、鍛冶、神山、赤川、桔梗、石川六か村戸長兼上湯川、下湯川、亀尾三村戸長)のように兼務ではあるが九か村も治めるようになったものも現われ、次第に戸長の権力が強まりつつあることが知られる。
『新北海道史』第三巻にはこのことを「戸長役場を減少してこれに十分な身分と給与を与えて行動能力を高めようという動機があったと考えられる」と記されている。