『北海道山林史』によれば、「明治三年七飯に苗圃が開設されてから明治十三年迄にマツ、スギ、ヒノキ、イチイ、コウゾ、エゾマツ、トドマツ、朝鮮五葉松、サクラ、イチョウ、ウルシ、クヌギ、サイカチ、シイ、カシワ、ケヤキ、ホウノキ、キリ、カラタチ、シンジュ、アカシア、米国種松等を養成、これを一般に交付し、大いに造林を奨励した。」とあり、その当時の造林地の中には、亀田村字桔梗野の地も含まれている。
この七飯官園から何らかの影響を受けていると考えられるものに、赤川村、桔梗村の植林及び果樹栽培がある。『明治十九年各村創立聞取書・亀田外七ケ村』には、次のごとく記されている。
(赤川村) 一 林木裁培及び本数 一 果樹植付及び本数
種 目 植付年次 植付本数 種 目 植付年次 植付本数
杉 明治五年 壱万三千本 梨 百三十九本
〃 同 六年 二万五千本 林 檎 百四本
〃 同 七年 三万五千本 桃 四十三本
〃 同 八年 二万三千本 李 五本
〃 同 九年 五万八千本 杏 二本
桐 同 十年 三万五千本
(桔梗村) 一 果樹植付及び本数
種 目 植付年次 植付本数 種 目 植付年次 植付本数
梨 明治十年 十三本 李 明治十年 八本
林 檎 〃 十二本 杏 〃 三本
桃 〃 二十一本 葡 萄 〃 四本
(石川村) 一 果樹植付及び本数
種 目 植付年次 植付本数 種 目 植付年次 植付本数
梨 明治十二年 百二十本 李 明治十二年 下五十二本
林 檎 〃 六十六本 杏 〃 上三十本
桃 〃 三十六本 葡 萄 〃 十三本
なお、『渡島国状況報文・亀田村外六村』によれば、「嘉永年間(一八四八―五三)赤川村の近江新三郎が杉を諸所より買い集めて植林した。この成功を見た赤川村住民の中に明治八、九年頃より栽植する者が出てきた。」と記されているところから、赤川村では、近江新三郎の影響もまた強く受けていたことがわかる。この後亀田諸村では理由ははっきりしないが、しばらく植林事業は中断し、明治二十五、六年に至り、植林の目的で未開地の貸付を受ける者が増加している。
その後明治三十九年の亀田諸村の植林状況について『渡島国状況報文・亀田村外六村』には大要次のように記している。
赤川村に於て植林している者は三十余戸、樹数四十余万本に達し其内近江新三郎の持分は約十五万本で杉を主とし、やせ地には赤松、落葉松を植える。近江新三郎は明治五年電信柱百八十本を売り、その後電信柱及び建築材等として伐採、現在直径一尺以上のもの約二千五、六百本有せり、この外では園田牧場以外に見るべき植林事業なし。
また同書によれば、明治三十九年現在の全村の私有林面積二、七二〇町歩、営林せるもの一九〇余町歩、公有林七五三町歩余、営林せるもの僅か二八町歩とある。