亀田では明治二十九年谷藤煉化製造所が、明治三十二年函館煉石製造合名会社が設立され、更に明治三十九年には平製造所が改組充実され、函館製瓦合資会社となり、明治四十五(大正元)年熊井工場が設立を見、これらの工場の製品は函館ばかりでなく、樺太、青森県方面まで函館港を通じて移出されるようになった。
明治三十五年六月に建設の始まった函館・小樽間の鉄道の鉄橋やトンネルには多量の亀田製煉瓦が使用されており、古老の語るところによれば、運搬には亀田地域の馬が多数使われ、一日一回、約三百個の煉瓦を積み、大沼トンネルまで運んだということである。