開拓使が北海道の開拓計画を樹立するに当り、何よりも重要であり急務であると考えたのは、函館・札幌間の幹線道路の建設であった。明治四年九月、アンチセルとワーフィールドの函館・札幌間の地形、港湾調査報告を検討したケプロンは、「車路ハ速ニ築造セラレンコトヲ勧ム」と建議し、この意見を受け入れた開拓使は早速築路計画に取り掛った。当初の予定では、亀田一本木(現在の若松町)より
砂原まで陸路、
砂原より海路室蘭、室蘭より陸路有珠、定山溪を通り、札幌に至るコースであったが、航路の安全や開拓上の見地より、亀田一本木を起点に峠下を通り森に至り、森より海路室蘭(トカリモイ)へ渡り、千歳を越え札幌に達するコースに変更された。
明治5年建設中の札幌本道(現在のガス会社付近) 北大図書館蔵