明治以来、各村の青年の動向は組織化されるものが少なかったが、各部落ごとに自主的な組織があったようである。
明治末年の鍛神青年会(鍛冶村青年団と神山村青年団)の状況は次のようであった。ア 普通学の研究をすること。イ 演説会を行うこと。ウ 撃剣による心身の鍛練を図ること。以上の方針の外に実業方面においても活躍を期することになり、同村学校内において役員会を開き、ア 馬鈴薯を五段歩位栽培して収益をあげ、活動費をつくること。イ 当村に適する各種の野菜類を栽培試作すること。ウ 耕地の整理には十分の注意を払い、模範たるべきこと。エ 適肥によって比較的多量の産額をあげること。オ 的確な良方法は各農家に知らせること。なお同村元老池田音右衛門は同会の挙を賞め、奨励の意をもって所有の畑数段を貸与して、その実行に協力したという。