明治時代末ころから大正初期にかけての亀田地域の慣習について『函館支庁管内町村誌「亀田村郷土誌」其四』は次のごとく記している。
第拾三章 亀 田 村
△ 婚礼
農家ニ行ハルル最モ盛大ナルモノニテ、南部津軽辺ニ行ハルルモノト大差ナシ。知己親族ヲ招キテ祝宴ヲ張ルコト世間一般ニ仝ジ。
当夜婚家ノ周囲ハ老幼男女ノ蝟集シテ見物スルモノ山ヲナシ、或物ハ假装シテ面ヲ覆ヒ、一見誰ナルカ不明ナラシメ、些少ノ金員ヲ祝儀トシテ呈ス。婚家ニテハ之ニ酒肴ヲ送リ平素ノ親交ヲ謝スル風アリ。
△ 葬 儀
葬儀ノ際ハ親疎ノ別ナク、挙テ会葬ス。仏前ニ呈スル香料ハ親疎ニヨリテ多少アリ、出棺ノ当夜ハ親族知己参集シテ死者ノ冥福ヲ祈ルト称シ、夜半一、二時ニ至ルヲ例トス。
△ 時 斉
招待ヲ受ケタル親族知己ハ各霊前ニ香料ヲ供シ、通夜スルコト他ト仝ジ。赤川村地方ニテハ婚礼ノ夜ト仝ジク服装ヲナシ、僅少ノ香典ヲツツミ来リ、呈スルコトアリ。之ヲ重鉢入ト称フ。斯ルモノアル時ハ茶飯及酒肴ヲ与ヘテ帰ス、然レドモ之等ノコトハ悲シミ未ダ去ラザル新仏ニハ行ハズトイフ。
△ 入営
入営スルモノハ出発ノ一両日前ニ親族知己ヲ集メテ門出ノ祝典ヲ開ク。出発当日ハ招待サレタルモノハ勿論、青年会其他各団体ハ其団体旗ヲ立テテ停車場又ハ函館区迄見送リヲ常トス。
△ 田 植
田植ハ毎年六月中ニ行フ。其当日ニ至レバ附近ノ知己親戚等来リテ手伝フ。村長又ハ学校長ナドヲ招待シテ馳走スルヲ例トス。此辺ハ互同志手伝シ合フ習慣ナリ。
△ 新 年
未ダ一般ニ旧暦ヲ用ヒ、大抵ハ一ヶ月後レテ新ヲ迎フルノ風アリ。新暦ハ一向正月ラシカラズ、元旦ニハ未明ニ起キテ年男ト称スル男家内ヨリ選ビ、礼装シテ若水ヲ汲ム。然シテ直チニ切餅ヲ焼キテ雑煮ノ節ヲ祝フ。終リテ夜ノホノボノト明ケテ初日ノ出ヲ拝ス。ソレヨリ廻礼ヲナス、後三五七日小豆餅、ゴマ、海苔、七草餅等ニテ節ヲナスコト世間一般ニ仝ジ
独リ本村ノミニ非ザルモ、カカル儀例ハ年々歳々昔ト遠ザカル傾アリ。
△ 桃ノ節句 雛祭
桃ノ節句、雛祭ヲ行フモノ極メテ少ナシ、菱餅ヲ作リ桃湯ヲタテ、入浴ス。
△ 灌仏会
旧暦四月八日寺院ニ参集、甘茶ヲ汲ム。
此日ハ神山ノ笹流街道ナル三十三番ノ観音ニ詣ズルモノ数ヲ知ラズ。
△ 五月ノ節句
旧五月五日春風ニ鯉幟ノ二ツ三ツ飜ルヲ見ル。笹餅(俗ニベコ餅)ヲ作リ菖蒲湯ヲ立テヽ浴ス。
△ 土用丑ノ日
此日ハ晴天ナラバ海辺又ハ川ニ出デテ泳グ、又据風呂ヲタテテ浴ス。
鰌又ハ鰻、韮ノ料理ヲナシテ食フ。
△ ウラ盆
旧七月十三日、十四日、十五日ノ三日間村中ノ若キ男女等付近ノ広場ニ蝟集シ、所謂盆踊ト称スル一種ノ踊ヲナス。歌及ビ踊ハ南部地方ト同ジトイヘリ。以前ハ此ノ踊ニ伴フ弊害甚ダ多カリシガ近来此踊ノ稍衰退ノ傾向アルハコレ青年男女ノ漸次高尚ナル趣味ニ向ヒツツアル影響ナラン。
△ 村社祭礼
亀田八幡宮祭日ハ九月十五日ニシテ其賑カナルコト言語ニ絶ス。
△ 歳 末
歳末ニハ師走ノ廿五日頃ヨリ餅搗ヲ初メ、又歳暮ヲ配ル〔多クハ自作ノ蔬菜類〕。廿九日又三十日ニハ歳越ノ宴ヲナス。