坪山照次

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坪山照次

 明治十一年十一月七日、七飯村字桜岡に生まれた。函館商業学校を卒業。明治四十四年函館区役所の土木課に勤務し、大正八年土木係長に昇進、函館市の都市計画作成にあたって敏腕を振った。
 大正十四年土木課長心得、翌十五年主事に任命され、昭和二年収入役に推され、任期満了の昭和十年十二月退職した後、昭和十三年亀田村長に当選した。
 村長就任後は村農会長を兼ね、生産物の品質改良を図り、亀田村の名産品たる大根、赤蕪の栽培を奨励し、移出を盛んにするとともに、函館を好市場として草花の栽培を奨励するため、優良品種を海外より取り寄せ、渡島支庁の助力を得て花卉(き)栽培講習会を村内各所で開催し、栽培方法の普及と向上につとめた。他方、交通についても意を注ぎ、亀田村内はもとより函館市内の道路をいためないため、亀田村の荷馬車に対し金輪からタイヤヘの改装を補助励行し、また臼尻村への道路開削を道庁に陳情した。
 函館市の海洋気象台(昭和十五年頃は函館測候所と呼ばれていた)が移転する際、土地の提供を申し出て亀田村に決定させるなど村勢の振興に寄与した。